■ 00.旅行準備(2006年06月21日〜30日)
・チケットの到着
・準備の開始
持っていくもの&やっておくことリスト
・ドルへの両替
・準備の途中
出発前日にはやっぱりお酒飲んでた、って話
■ 01.出発 〜 機内(2006年07月01日)
・大量の荷物
荷物が多いよ、って話
・出航の直前
成田空港で合流した、って話
・飛行機の中
機内はあっという間だった、って話
■ 02.ニューヨーク 1日目(2006年07月01日)
・夏の夜景のニューヨーク
ニューアーク空港から、バスでマンハッタンへ。
メトロカードを買って、無線LANの接続を試して、ロックフェラーで夜景を見る。
■ 03.ニューヨーク 2日目(2006年07月02日)
・日曜の昼のニューヨーク
集合までに、スタテン島、チェルシーマーケット、MSG、メイシーズ、タイムズスクエアと、名所巡り。
・日曜の夕方のニューヨーク
グランドセントラルで正之先生と待ち合わせ。
ストランド・ブックストア、ディーン&デルーカと巡って、パスタプレストでお食事。
最後はホテルのバーで、ウィスキー水割りの話。
■ 04.ニューヨーク 3日目(2006年07月03日)
・月曜の朝のニューヨーク
待ち合わせまでに、国連本部ビルを(外から)見学。
ミミーズの前を通って、シティコープを素通りし、セントパトリックへ。
その後、ドラマブックショップを下見。
・月曜の午後のニューヨーク
集合後、ハンバーガーを食べて、黒人街を歩いて、綺麗な女子高生を探して、ドラマブックショップへ。
夕食は、ウクライナ料理のお店へ行く。
・月曜の夜のニューヨーク
ヴェセルカで夕食をとって、ベニーロでケーキを食べて、正之先生宅へ。
■ 05.ニューヨーク 4日目(2006年07月04日)
・独立記念日の朝のNY
五番街を歩いて、セントラルパークへ。
・独立記念日の午後のNY
グランドセントラルの地下でカレーを食べて、ニューヨーク市立博物館でキャロラインに会って、ハドソンの突端に寝転んでピンフォール取られて。
・独立記念日の夜のNY
ハーレムを歩いて、あやしいオヤジのパスタ屋でパスタを食べて、ルーズベルト島に行って、最終的には地下鉄に乗ってマンハッタンブリッジから花火を見る。
■ 06.ニューヨーク 5日目(2006年07月05日)
・ひとりで歩くニューヨーク
朝食を摂った後、単独行動。八番街のポルノショップへ行く。
・チャイナタウンでランチ
正之先生と待ち合わせて、「南北麺館」でランチ。
その後、チャイナタウンとブルックリンブリッジを歩く。
・再び、ひとりで歩くニューヨーク
SOHOをぶらぶらして、五番街でジーンズを買う。夕食はステーキ。
■ 07.ニューヨーク 最終日(2006年07月06日)
・この年、最後のニューヨーク
空港に行く。ラウンジの先生に逢いに行く。
■ 08.帰国(2006年07月07日)
・一週間ぶりの日本
成田に到着。バスで家に帰る。
2006年07月08日(Sat)
MASAと豪遊 ニューヨークツアー 2006 ダイジェスト
posted by ななし at 00:01
| NY旅行記 2006
旅行記の進捗
あんまりすぐには書きあがらないと思うんで、更新情報を書いておきます。
2007/06/29
出発したのは去年の7月1日。
ホントにギリギリ、一年以内に書き終えました!
7月6日の分、
7月7日(日本時間)の分です。
2007/06/06
あんまり間を開けないうちに、続きを書くことにしました。
もうすぐ1年経っちゃいますからね。
7月5日の午前中の分、
7月5日のお昼の分、
7月5日の夕方〜夜の分を、更新しました。
2007/05/20
さらに間が空いてしまいましたが(半年だよ!)、
7月4日の午前中の分、
7月4日の午後の分、
7月4日の夜の分を、更新しました。あとちょっと!
2006/10/19
随分と間が空いてしまいましたが、7月3日夜の分を更新しました。
2006/08/21
7月3日午後の分を更新しました。
2006/07/25
7月3日の午前中までの分を更新しました。
2006/07/23
7月2日の待ち合わせ後を更新しました。
2006/07/12
7月2日の待ち合わせ前までの分を更新しました。
2006/07/11
今日は正之先生のお誕生日ですね。
7月1日分に、書き忘れていたエピソードを追加。
2006/07/10
6月21日分に、今回使用した航空会社とホテル名を追記しました。
2006/07/09
7月1日分を更新しました。
2007/06/29
出発したのは去年の7月1日。
ホントにギリギリ、一年以内に書き終えました!
7月6日の分、
7月7日(日本時間)の分です。
2007/06/06
あんまり間を開けないうちに、続きを書くことにしました。
もうすぐ1年経っちゃいますからね。
7月5日の午前中の分、
7月5日のお昼の分、
7月5日の夕方〜夜の分を、更新しました。
2007/05/20
さらに間が空いてしまいましたが(半年だよ!)、
7月4日の午前中の分、
7月4日の午後の分、
7月4日の夜の分を、更新しました。あとちょっと!
2006/10/19
随分と間が空いてしまいましたが、7月3日夜の分を更新しました。
2006/08/21
7月3日午後の分を更新しました。
2006/07/25
7月3日の午前中までの分を更新しました。
2006/07/23
7月2日の待ち合わせ後を更新しました。
2006/07/12
7月2日の待ち合わせ前までの分を更新しました。
2006/07/11
今日は正之先生のお誕生日ですね。
7月1日分に、書き忘れていたエピソードを追加。
2006/07/10
6月21日分に、今回使用した航空会社とホテル名を追記しました。
2006/07/09
7月1日分を更新しました。
posted by ななし at 00:00
| NY旅行記 2006
2006年07月07日(Fri)
一週間ぶりの日本
▼今日の行程
ニューアークリバティ空港
↓ (コンチネンタル航空)
成田空港
↓ (バス・電車)
自宅
■ 成田空港
せっかく日程を一日延ばして、正之先生と一緒に帰る飛行機に乗ったのだが、ぼくは飛行機の中のほとんどの時間を寝て過ごしてしまった。
途中、先生がぼくらの席の近くに来てくれたのだが、ぼくがそれに気付いたのは先生の戻り際。気付いてもらおうと手を振ったのだが、客室乗務員さんが台車を通しているところだったので、立ち止まってもらうことはできなかった。後で、「気付いてはいたんだよ」といっていた
そんなこんなで、結局、次に先生と逢ったのは、成田に着いてからだった。
荷物の受け取りや関税のチェックを終えて、到着ロビーに出ると、正之先生はすでにベンチシートに座って、ぼくらを待っていた。
「遅かったね」
「関税で質問を受けちゃって…」
雑談をしながら先生は、お財布の中身を米ドルから日本円に移し変えていた。
「あーあ、終わっちゃった。つまんないのー」
2002年にぼくが初めてニューヨークに行った時、両替してきたドル札を見て、「人生ゲームのお金みたい」と思ったが、今でもやっぱりそういう感覚は持っているのかもしれない。
日本円は、やっぱりどうやっても「お金」というイメージ。
米ドルは、何となくゲームで使うお金だったり、ちょっと現実とは違う空間にいる気分にさせてくれるイメージなのだ。
いや、もちろん、実際に物を買うか買わないか迷っている時なんかは、「円にしたらいくらだろ?」とか計算しているのだが。
成田エクスプレスの時間が迫っている、とのことで、違うルートで帰るぼくは、正之先生とはここでお別れ。
挨拶をした後、バスの時間まで、一緒のホテルに泊まった人と、喫茶店で雑談をしながら時間を潰した。
■ おしまい
帰りのバスでも少しうとうとしながら帰ったら、さすがに夜はあんまり寝付けなかった。
長かったようでもあり、あっという間だったようでもありのニューヨークツアーは、事故もなく無事に終了。一週間ぶりの日本は、当然のことながら、特に何も変わっていなかった。
次の日からはまた、いつもの暮らしが…なんて思っていたら、翌日(7月8日)のチャッターギャングの公演でも正之先生にお逢いした。
ちょっとだけ、まだニューヨークツアーが続いてるような錯覚を感じたのを覚えている。
ちなみにこの日記を書いたのは、2007年の6月末。何とかギリギリ、1年以内に書き終わったよ!
ニューアークリバティ空港
↓ (コンチネンタル航空)
成田空港
↓ (バス・電車)
自宅
■ 成田空港
途中、先生がぼくらの席の近くに来てくれたのだが、ぼくがそれに気付いたのは先生の戻り際。気付いてもらおうと手を振ったのだが、客室乗務員さんが台車を通しているところだったので、立ち止まってもらうことはできなかった。後で、「気付いてはいたんだよ」といっていた
そんなこんなで、結局、次に先生と逢ったのは、成田に着いてからだった。
荷物の受け取りや関税のチェックを終えて、到着ロビーに出ると、正之先生はすでにベンチシートに座って、ぼくらを待っていた。
「遅かったね」
「関税で質問を受けちゃって…」
雑談をしながら先生は、お財布の中身を米ドルから日本円に移し変えていた。
「あーあ、終わっちゃった。つまんないのー」
2002年にぼくが初めてニューヨークに行った時、両替してきたドル札を見て、「人生ゲームのお金みたい」と思ったが、今でもやっぱりそういう感覚は持っているのかもしれない。
日本円は、やっぱりどうやっても「お金」というイメージ。
米ドルは、何となくゲームで使うお金だったり、ちょっと現実とは違う空間にいる気分にさせてくれるイメージなのだ。
いや、もちろん、実際に物を買うか買わないか迷っている時なんかは、「円にしたらいくらだろ?」とか計算しているのだが。
成田エクスプレスの時間が迫っている、とのことで、違うルートで帰るぼくは、正之先生とはここでお別れ。
挨拶をした後、バスの時間まで、一緒のホテルに泊まった人と、喫茶店で雑談をしながら時間を潰した。
■ おしまい
帰りのバスでも少しうとうとしながら帰ったら、さすがに夜はあんまり寝付けなかった。
長かったようでもあり、あっという間だったようでもありのニューヨークツアーは、事故もなく無事に終了。一週間ぶりの日本は、当然のことながら、特に何も変わっていなかった。
次の日からはまた、いつもの暮らしが…なんて思っていたら、翌日(7月8日)のチャッターギャングの公演でも正之先生にお逢いした。
ちょっとだけ、まだニューヨークツアーが続いてるような錯覚を感じたのを覚えている。
ちなみにこの日記を書いたのは、2007年の6月末。何とかギリギリ、1年以内に書き終わったよ!
posted by ななし at 23:55
| Comment(2)
| NY旅行記 2006
2006年07月06日(Thu)
この年、最後のニューヨーク
▼今日の行程
ホテル
↓ (歩)
[グランドセントラル]
↓ (空港バス)
ニューアークリバティ空港 / ラウンジへ
■ グランドセントラル
はっきり言ってしまえば今日は帰るだけ。写真もほとんど残っていない。
追加料金が発生するようなものを一切使っていないので、ホテルのチェックアウトはスムーズこの上なかったし、行きに来たのと同じ、空港バスを使ってニューアークに向かったので、特に迷うこともなかった。
バスのチケットはやっぱり14ドル。そりゃまあ行きと帰りで違うこともないだろうけど。
グランドセントラルから、ニューヨーク市立図書館のすぐ裏のブライアントパークを経由して、ポートオーソリティーバスターミナルへ。しばしば歩いたニューヨークの道をバスで移動する。
「あー、もう帰っちゃうんだよなあ」
なんて想いで、ぼーっと窓の外を見ていた。
マンハッタンを出て、ハイウェイに入る。空港に向かうであろう車でいっぱいだ。自家用車もさることながら、バスの数もすごい。まぁぼくらもそのバスのうちの1台に乗っているのだからあまり強いことも言えないが、渋滞にはまって飛行機に間に合わない、なんて人もいるんじゃなかろうか。
来る時に比べて随分と車の量が多かったので、もしかしたら来る時より長い時間が掛かるんじゃないかと思っていたが、意外とスムーズに進んでいる。バスが、他の自動車をぐんぐん追い越して走っているのだ。
…なんで?
良く見てみたら、どうやらバスには専用車線が用意されているらしい。なるほど、公共交通機関を使っていれば、それなりに時間が読めるようになっているのか。
それにしてもすごい数のバスだなあ。
■ ニューアークリバティ空港
空港に着いて、出国のための手続きを済ませた後、少し遅めの朝食を摂った。
メニューはアメリカらしくハンバーガー…だったのだが、味もサイズも、それまでにアメリカで食べたハンバーガーとは違っていた。出国してしまったら、もうアメリカ的な食べ物ではなくなってしまうんだろうか。…いや、もちろん、実際に作っているのはアメリカ人だし、作っている場所もアメリカなんだろうけど。
搭乗まではまだまだ時間があったので、空港内を歩いてみたり、免税店を覗いたりもしたが、すぐに飽きてしまった。途中で見つけたお祈り用の部屋(pray room)というのがあったのは、文化の違いを感じられる発見だったが、ぼくにとっては入る用のない部屋だ。
特にいる場所もないので、乗り場の前のベンチに座ってしゃべっていると、さっきまでぼくらが食事をしていた方から、正之先生が現れた。
「今、ご飯食べてきたところ」
あー、じゃあもしかしたら近くで食べていたかもしれなかったんですね。惜しい。
しばらく挨拶や雑談をした後、正之先生はビジネスファースト専用のラウンジに。ぼくらはベンチに座って雑談を続けていた。
「日本へ出国されるお客様は、出国時にも指紋の登録が必要に…」
航空会社の職員の人が、なにやらアピールしている。どうやら、アメリカ出国時にも指紋の採取を行っているらしい。
現在、アメリカに入国する際には、指紋を採取される。入国審査の時に一緒に行うので、順番に進んでいけば黙っていても採取される仕組みだ。
ただそれは入国の時のこと。少なくとも2004年に行った時には、出国時には何もなかった。
ところが、一部の空港では出国の際にも指紋の採取を行っているそうで、ニューアークはまさにその「一部の空港」。ちなみに2004年に使ったJFK空港は、出国時の採取は行っていないそうだ。道理で馴染みがないわけだ。
しかも出国時の指紋採取は、出国審査の流れの中では行ってくれない。各自が専用の機械の前に行って指紋を採取し、その機械から排出される紙を持って、搭乗の際に渡すんだとか。
…なんだか随分と分かりにくいシステムだなあ…。
■ ニューアークリバティ空港 ラウンジへ
と、ここでちょっとした問題が発生したことになる。
放送を使わずに、乗り場の目の前で職員の人が声を上げているということは、ラウンジにいる正之先生には、当然、このことは伝わっていない。
「正之先生、指紋採取が必要なこと、知ってるかなあ?」
「知らないと思うよ」
「これ、ないと出国できないんですかね?」
「できないことはないと思うけど、スムーズには行かなさそうだよね」
「搭乗の時に、”今から取って来い”って言われたりね」
よし、じゃあ、伝えに行きましょう!
…ことの経緯は覚えてないが、どういうわけかぼくが伝えに行くことになった。ま、まぁ一番年下だしね、うん。…関係あるかなあ?
ラウンジの前に行くと、扉が閉まっていて係員がいて、勝手には入れないようになってる。そりゃそうだよね、ビジネスファーストのお客様用のエグゼクティブなラウンジだもんね。エコノミーの人が勝手に入っちゃ困るよね。
うん、係員の人に話して入れてもらうことにしよう。
とはいえ、コンチネンタル航空のラウンジなので、係りの人も、当然、日本語が通じそうな風貌はしていない。
えーっと何て言えば良いんだ? 中にいる人に逢いたいから、って言えば良いんだよな。よし。
「Excuse me...」
…と、あれ? ぼくと正之先生って、どういう関係だ? 「ミュージシャンとそのファンです」って言ったら、間違っても入れてくれないし、「知り合い」?…って英語で何ていうんだろう?(ちなみに acquaintance ) えーっと、し、仕方がない。
「My friend is in that room. I want to talk to him.」
わー、friend って言っちゃったよ、と思いながら話していると、係の人から、その "friend" の名前を訊ねられた。
「Mr.Yamamoto.」
…何やらコンピュータをチェックしている。
「彼に会えば、彼はあなたのことが分かりますか?」
「はい、分かります」
「じゃあ、入って自分で探してください」
「ありがとう!」
ビジネスファースト用のラウンジなんで、今のところエコノミー専門のぼくが入る機会はない。初めて入ったエグゼクティブなラウンジだったが、何だか早く出なくちゃいけない気がして、どうなってるのか見ておこう、なんていうところまでは、ちょっと気が回らなかった。
キョロキョロとあたりを見渡すと、比較的すぐに正之先生を見付けることができた。
「正之先生」
非常に静かで落ち着きのある空間にあってはあまり大きい声も出せないので、それなりに近付いて声をかける。
「どうしたの?」
驚いたような表情でぼくを見た正之先生に、指紋採取が必要なことを伝えた。
「それは初めて聞いたなあ」
と、ラウンジの係の人に指紋採取について確認している。きちんと聞き取れなかったが、have to か must か、みたいな単語が聞こえたので、必ず採取しなくてはいけないのか、確認していたんだろう。
確認を終えて一緒にラウンジを出た正之先生が、ぼくに尋ねた。
「何て言って入って来たの?」
「えーっと、知り合いが中にいて、その人に伝えたいことがあるから、って…」
さっきの経緯を説明するぼく。
旅行の最後の最後で、妙に緊張したひとときだった。特にラウンジにいる正之先生に声をかけるときとかね!
ホテル
↓ (歩)
[グランドセントラル]
↓ (空港バス)
ニューアークリバティ空港 / ラウンジへ
■ グランドセントラル
はっきり言ってしまえば今日は帰るだけ。写真もほとんど残っていない。
追加料金が発生するようなものを一切使っていないので、ホテルのチェックアウトはスムーズこの上なかったし、行きに来たのと同じ、空港バスを使ってニューアークに向かったので、特に迷うこともなかった。
バスのチケットはやっぱり14ドル。そりゃまあ行きと帰りで違うこともないだろうけど。
グランドセントラルから、ニューヨーク市立図書館のすぐ裏のブライアントパークを経由して、ポートオーソリティーバスターミナルへ。しばしば歩いたニューヨークの道をバスで移動する。
「あー、もう帰っちゃうんだよなあ」
なんて想いで、ぼーっと窓の外を見ていた。
マンハッタンを出て、ハイウェイに入る。空港に向かうであろう車でいっぱいだ。自家用車もさることながら、バスの数もすごい。まぁぼくらもそのバスのうちの1台に乗っているのだからあまり強いことも言えないが、渋滞にはまって飛行機に間に合わない、なんて人もいるんじゃなかろうか。
来る時に比べて随分と車の量が多かったので、もしかしたら来る時より長い時間が掛かるんじゃないかと思っていたが、意外とスムーズに進んでいる。バスが、他の自動車をぐんぐん追い越して走っているのだ。
…なんで?
良く見てみたら、どうやらバスには専用車線が用意されているらしい。なるほど、公共交通機関を使っていれば、それなりに時間が読めるようになっているのか。
それにしてもすごい数のバスだなあ。
■ ニューアークリバティ空港
メニューはアメリカらしくハンバーガー…だったのだが、味もサイズも、それまでにアメリカで食べたハンバーガーとは違っていた。出国してしまったら、もうアメリカ的な食べ物ではなくなってしまうんだろうか。…いや、もちろん、実際に作っているのはアメリカ人だし、作っている場所もアメリカなんだろうけど。
搭乗まではまだまだ時間があったので、空港内を歩いてみたり、免税店を覗いたりもしたが、すぐに飽きてしまった。途中で見つけたお祈り用の部屋(pray room)というのがあったのは、文化の違いを感じられる発見だったが、ぼくにとっては入る用のない部屋だ。
特にいる場所もないので、乗り場の前のベンチに座ってしゃべっていると、さっきまでぼくらが食事をしていた方から、正之先生が現れた。
「今、ご飯食べてきたところ」
あー、じゃあもしかしたら近くで食べていたかもしれなかったんですね。惜しい。
しばらく挨拶や雑談をした後、正之先生はビジネスファースト専用のラウンジに。ぼくらはベンチに座って雑談を続けていた。
「日本へ出国されるお客様は、出国時にも指紋の登録が必要に…」
航空会社の職員の人が、なにやらアピールしている。どうやら、アメリカ出国時にも指紋の採取を行っているらしい。
現在、アメリカに入国する際には、指紋を採取される。入国審査の時に一緒に行うので、順番に進んでいけば黙っていても採取される仕組みだ。
ただそれは入国の時のこと。少なくとも2004年に行った時には、出国時には何もなかった。
ところが、一部の空港では出国の際にも指紋の採取を行っているそうで、ニューアークはまさにその「一部の空港」。ちなみに2004年に使ったJFK空港は、出国時の採取は行っていないそうだ。道理で馴染みがないわけだ。
しかも出国時の指紋採取は、出国審査の流れの中では行ってくれない。各自が専用の機械の前に行って指紋を採取し、その機械から排出される紙を持って、搭乗の際に渡すんだとか。
…なんだか随分と分かりにくいシステムだなあ…。
■ ニューアークリバティ空港 ラウンジへ
と、ここでちょっとした問題が発生したことになる。
放送を使わずに、乗り場の目の前で職員の人が声を上げているということは、ラウンジにいる正之先生には、当然、このことは伝わっていない。
「正之先生、指紋採取が必要なこと、知ってるかなあ?」
「知らないと思うよ」
「これ、ないと出国できないんですかね?」
「できないことはないと思うけど、スムーズには行かなさそうだよね」
「搭乗の時に、”今から取って来い”って言われたりね」
よし、じゃあ、伝えに行きましょう!
…ことの経緯は覚えてないが、どういうわけかぼくが伝えに行くことになった。ま、まぁ一番年下だしね、うん。…関係あるかなあ?
ラウンジの前に行くと、扉が閉まっていて係員がいて、勝手には入れないようになってる。そりゃそうだよね、ビジネスファーストのお客様用のエグゼクティブなラウンジだもんね。エコノミーの人が勝手に入っちゃ困るよね。
うん、係員の人に話して入れてもらうことにしよう。
とはいえ、コンチネンタル航空のラウンジなので、係りの人も、当然、日本語が通じそうな風貌はしていない。
えーっと何て言えば良いんだ? 中にいる人に逢いたいから、って言えば良いんだよな。よし。
「Excuse me...」
…と、あれ? ぼくと正之先生って、どういう関係だ? 「ミュージシャンとそのファンです」って言ったら、間違っても入れてくれないし、「知り合い」?…って英語で何ていうんだろう?(ちなみに acquaintance ) えーっと、し、仕方がない。
「My friend is in that room. I want to talk to him.」
わー、friend って言っちゃったよ、と思いながら話していると、係の人から、その "friend" の名前を訊ねられた。
「Mr.Yamamoto.」
…何やらコンピュータをチェックしている。
「彼に会えば、彼はあなたのことが分かりますか?」
「はい、分かります」
「じゃあ、入って自分で探してください」
「ありがとう!」
ビジネスファースト用のラウンジなんで、今のところエコノミー専門のぼくが入る機会はない。初めて入ったエグゼクティブなラウンジだったが、何だか早く出なくちゃいけない気がして、どうなってるのか見ておこう、なんていうところまでは、ちょっと気が回らなかった。
キョロキョロとあたりを見渡すと、比較的すぐに正之先生を見付けることができた。
「正之先生」
非常に静かで落ち着きのある空間にあってはあまり大きい声も出せないので、それなりに近付いて声をかける。
「どうしたの?」
驚いたような表情でぼくを見た正之先生に、指紋採取が必要なことを伝えた。
「それは初めて聞いたなあ」
と、ラウンジの係の人に指紋採取について確認している。きちんと聞き取れなかったが、have to か must か、みたいな単語が聞こえたので、必ず採取しなくてはいけないのか、確認していたんだろう。

「何て言って入って来たの?」
「えーっと、知り合いが中にいて、その人に伝えたいことがあるから、って…」
さっきの経緯を説明するぼく。
旅行の最後の最後で、妙に緊張したひとときだった。特にラウンジにいる正之先生に声をかけるときとかね!
posted by ななし at 11:10
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| NY旅行記 2006
2006年07月05日(Wed)
再び、ひとりで歩くニューヨーク
▼今日の行程(解散後)
シティホール(City Hall)
↓ (R)
[プリンスストリート(Prince St)]
↓ (歩)
SOHO
↓ (歩)
[ユニオンスクエア]
↓ (4)
[グランドセントラル]
↓ (6)
[51 St]
↓ (歩)
五番街
↓ (歩)
ホテル
↓ (歩)
ブライアントパーク
↓ (歩)
グランドセントラル マイケルジョーダンズステーキハウス
↓ (歩)
ホテル
■ シティホール 〜 SOHO
シティホールの駅は、何となく不思議な作り。階段を降りたところはホームなのだが、周りが鉄格子で覆われている。もちろん、改札をくぐると、その鉄格子から出られるのだから、何も特別なことはないのだが、何だか牢屋に入っているような気分になれる。いや、牢屋に入った経験はないのだが。
プリンスストリートで降りて歩いた先は、SOHO。ブティックが立ち並ぶファッション街…なんていうと格好良いが、言ってみれば洋服屋さんがたくさんあるエリア、というだけだ。もちろん、他のお店もあるが。
「ユニクロ」なんかも出店準備を進めていた(この旅行記を書いている2007年6月には、当然オープン済みだろう)。
特に目当てのお店もないので、順番に入っていく。偶然かもしれないが、ジーンズの数や種類がやけに多い。ミリタリーファッションのお店にも入ってみたのだが、ここはちょっとセキュリティが厳しかった。ストランド・ブックストアでもあった、入り口で荷物を預ける仕組みだ。レプリカかと思っていたら、払い下げ品みたいなものも置いてあったようだ。とはいえ、趣味ではないので購入にいたる品は見当たらなかった。
ガイドブックにも載っていた大衆向けな洋服屋さん(…とは言っても、そのガイドブックの記述は、ホテルに戻ってから気付いたものなのだが)で、ジーンズを見ていたら、近くの女性に声を掛けられた。
しまった、不意に声を掛けられたので、何と言っていたのか、ちっとも聞き取れていない。
何やら、ぼくに許可か助力を求めているっぽいのは分かったのだが、店員と間違われたのだろうか? 高いところのものを取ってくれとか、そういうのではなかった。
「いやいや、ぼくは店員じゃないよ」という内容の(つもりの)ことを言ってみると、ちょっと顔をしかめたような、非常にアメリカ人らしい表情をして、去っていった。台詞を当てるなら「あらまぁそう」といった感じか。
しばらく見ていると、また声を掛けられる。さっきは白人だったが、今度は黒人だ。やっぱり何を言っていたのか、聞き取れなかった。
さっきといい今といい、声をかけてくるのは若い女性。まぁぼくと同年代か、少し上くらいだろうか。
何だ? SOHOではアジア人が流行ってるのか? 確かにチャイナタウンは近いよな、なんて思ったりもしたのだが、素直に「えーっと、英語分からないんだよね…」みたいなことを言ってごまかす。
するとその女性、「全然構わないわ」みたいな笑顔を伴った表情で、持っていたジーンズをぼくの腰にあてた。
「hmm... Thank you.」
「...You are welcome...」
…あー、そうか! 恐らく彼女は、誰か別の人にジーンズを買っていくんだろう。そのサイズを見るために、近い背格好の人を探していたんだ。ぼくとその人の背格好が近かったんじゃなかろうか。
きっと、さっきの女性もそんな用だったのかもしれない。だとしたら断ってしまって悪いことをしたなあ。
あと、別にSOHOでアジア人が流行ってるわけでもなさそうだ。
結局そのお店で、ベルトを二本買った。そのうちの一本は、今でもスーツを着るときに使っている。
■ SOHO 〜 ユニオンスクエア
さらにもう少し洋服屋さんを見た後、そのままユニオンスクエアまで歩いた。ちょうど、7月2日に正之先生に案内されながら歩いたコースを逆に歩いたイメージだ。とはいえ、通ったストリートやアベニューは別だった気がする。
途中、ストランド・ブックストアを通ったので、写真を撮っておいた。
それと、その手前にあった、コミックショップ。アメコミももちろん置いてあったのだが、ショーケースにあるのも、店内に並んでいるのも、ほとんどが日本の漫画だ。すごく有名な作品、というわけでもないような本も、じゃんじゃか英訳されているようで、日本で発売されてから1ヶ月とか2ヶ月でここにも並んでるんじゃなかろうか、というくらい、最近刊行された本も置いてあった。
中に入ってみると、大盛況。かなり混みあっている。アメコミのコーナーにも人はたくさんいたが、ドラゴンボールの単行本片手に親に「これが良い」と訴えている子供もいたりして、何というか、色んな意味で日本と変わらない。
すごいなあ、日本の漫画。
■ 五番街
そろそろ歩き疲れてきたので、地下鉄を使って6番の51 Stまで移動。そこから、午前中に寄った洋服屋さんまで歩く。
色々見てきたが、値段や品揃えから、このお店で買うのが良さそうだ。
時間帯のせいか、随分と混んでいる。ジーンズを選んでいたら、店員さんが声をかけてきた。いくら不意打ちでも、これくらいはヒアリングできる。
「May I help you?」
「試着したいんですけど、良いですか?」
これとこれと…、と、数着持って試着室に案内された。通された試着室、いわゆる靴を脱ぐ場所がないんだけれど…みんな、靴のままジーンズを履き替えるんだろうか?
仕方がないので、靴下で直に床に立つことにした。見た感じ、きちんと綺麗にしてあったが、ちょっと不思議な気分だ。そういや室内でも靴を脱がない文化の国だもんなあ。
試着したジーンズは、ちょっと大きかった。再び売り場にもどると、さっきの店員さんが再び声をかけてくる。
「さっきのどうだった?」
「ぼくにはちょっと大きかったよ。もう少し小さいのはある?」
探し出してくれた2つのサイズのうち、1つがちょうど良かったので、それを持ってレジに並んだ。
レジでは「新しい男性用の香水なんだけど、一緒にいかが?」なんて言われたが、それは断る。ジーンズ売り場で香水なんて売ってるんだなあ。
お会計を済ませて、出口に向かって歩いていたら、さっきの店員が笑顔で視線を合わせて来た。
「あなたが選んでくれたのを買ったよ」と言うと、笑顔で「Thank you」と返してくれた。
ちなみにさっきからの英語、ぼくはそう言っているつもりだが、きちんと相手に通じているかどうかは、ちょっと分からない。
■ マイケルジョーダンズステーキハウス
ホテルに戻ってひと休みした後、他の二人と合流。今回のニューヨーク旅行の最後の夕食は、グランドセントラルのマイケルジョーダンズステーキハウスで摂ることにした。名前の通り、NBAのマイケル・ジョーダンの経営するお店…なんだろう。よく朝食や昼食を摂ったダイナーは地下にあったが、ステーキハウスは中央のホールを見下ろす位置にある。
今回のツアーでは行かなかったミミーズに行こうか、と言う話もあったのだが、せっかくステーキを食べるなら、専門店の方が良いだろう、ということで、このお店で食べることに。ホテルから近かったのも、決め手のひとつだ。
写真の通りのアメリカらしいサイズのステーキだったが、肉は柔らかくて、ジューシー。やっぱりステーキってもの自体がアメリカらしさを感じる。旅行最後の夕食にはちょうど良かった。
隣にいたグループは、社員旅行か何かで来たっぽい、日本人のグループ。どうやら彼らは、今日、ニューヨークに着いたようだ。料理は満足そうに食べていたが、あまり計画的に何かを決めてきたわけではないようで、レストランでの振る舞いや、この後の予定についてあーでもないこーでもないと話し込んでいた。当然のことながら、日本語で。
彼らには何の非もないのだが、今晩くらいまでは、もっとアメリカを感じたかったなあ。
食べ終わって、ちょっとビールが足りなかったが、それは後でデリで買うとして、お店を出ることにした。
チェックをお願いして持ってきた伝票を見ると、Serviceみたいな項目があったので、多分、チップは含まれているんだろう。…と思ったが、不安だったので、臆面もなく店員さんに聞いてしまった。
ドレッドヘアーの黒人の男性店員が、「含まれてるよ」と答えてくれたので、額面通りをカードで支払った。
ぼくらがお店を出るか出ないかのところで、
「チップとか置かなきゃいけないんだろ? どんくらいだ?」
なんて話し合っている隣の席にいたグループの声が聞こえてきた。日本人旅行客が悩むことなんて、大差ないのかもしれない。
デリでビールを買って、ホテルの部屋でツアー最後の乾杯。
明日はもう、飛行機に乗って日本に向かうだけだ。
終わってみれば早かったなあ。
…書いてみたら随分時間が掛かったけれど…。
シティホール(City Hall)
↓ (R)
[プリンスストリート(Prince St)]
↓ (歩)
SOHO
↓ (歩)
[ユニオンスクエア]
↓ (4)
[グランドセントラル]
↓ (6)
[51 St]
↓ (歩)
五番街
↓ (歩)
ホテル
↓ (歩)
ブライアントパーク
↓ (歩)
グランドセントラル マイケルジョーダンズステーキハウス
↓ (歩)
ホテル
■ シティホール 〜 SOHO
シティホールの駅は、何となく不思議な作り。階段を降りたところはホームなのだが、周りが鉄格子で覆われている。もちろん、改札をくぐると、その鉄格子から出られるのだから、何も特別なことはないのだが、何だか牢屋に入っているような気分になれる。いや、牢屋に入った経験はないのだが。
プリンスストリートで降りて歩いた先は、SOHO。ブティックが立ち並ぶファッション街…なんていうと格好良いが、言ってみれば洋服屋さんがたくさんあるエリア、というだけだ。もちろん、他のお店もあるが。
「ユニクロ」なんかも出店準備を進めていた(この旅行記を書いている2007年6月には、当然オープン済みだろう)。
特に目当てのお店もないので、順番に入っていく。偶然かもしれないが、ジーンズの数や種類がやけに多い。ミリタリーファッションのお店にも入ってみたのだが、ここはちょっとセキュリティが厳しかった。ストランド・ブックストアでもあった、入り口で荷物を預ける仕組みだ。レプリカかと思っていたら、払い下げ品みたいなものも置いてあったようだ。とはいえ、趣味ではないので購入にいたる品は見当たらなかった。
ガイドブックにも載っていた大衆向けな洋服屋さん(…とは言っても、そのガイドブックの記述は、ホテルに戻ってから気付いたものなのだが)で、ジーンズを見ていたら、近くの女性に声を掛けられた。
しまった、不意に声を掛けられたので、何と言っていたのか、ちっとも聞き取れていない。
何やら、ぼくに許可か助力を求めているっぽいのは分かったのだが、店員と間違われたのだろうか? 高いところのものを取ってくれとか、そういうのではなかった。
「いやいや、ぼくは店員じゃないよ」という内容の(つもりの)ことを言ってみると、ちょっと顔をしかめたような、非常にアメリカ人らしい表情をして、去っていった。台詞を当てるなら「あらまぁそう」といった感じか。
しばらく見ていると、また声を掛けられる。さっきは白人だったが、今度は黒人だ。やっぱり何を言っていたのか、聞き取れなかった。
さっきといい今といい、声をかけてくるのは若い女性。まぁぼくと同年代か、少し上くらいだろうか。
何だ? SOHOではアジア人が流行ってるのか? 確かにチャイナタウンは近いよな、なんて思ったりもしたのだが、素直に「えーっと、英語分からないんだよね…」みたいなことを言ってごまかす。
するとその女性、「全然構わないわ」みたいな笑顔を伴った表情で、持っていたジーンズをぼくの腰にあてた。
「hmm... Thank you.」
「...You are welcome...」
…あー、そうか! 恐らく彼女は、誰か別の人にジーンズを買っていくんだろう。そのサイズを見るために、近い背格好の人を探していたんだ。ぼくとその人の背格好が近かったんじゃなかろうか。
きっと、さっきの女性もそんな用だったのかもしれない。だとしたら断ってしまって悪いことをしたなあ。
あと、別にSOHOでアジア人が流行ってるわけでもなさそうだ。
結局そのお店で、ベルトを二本買った。そのうちの一本は、今でもスーツを着るときに使っている。
■ SOHO 〜 ユニオンスクエア
さらにもう少し洋服屋さんを見た後、そのままユニオンスクエアまで歩いた。ちょうど、7月2日に正之先生に案内されながら歩いたコースを逆に歩いたイメージだ。とはいえ、通ったストリートやアベニューは別だった気がする。
それと、その手前にあった、コミックショップ。アメコミももちろん置いてあったのだが、ショーケースにあるのも、店内に並んでいるのも、ほとんどが日本の漫画だ。すごく有名な作品、というわけでもないような本も、じゃんじゃか英訳されているようで、日本で発売されてから1ヶ月とか2ヶ月でここにも並んでるんじゃなかろうか、というくらい、最近刊行された本も置いてあった。
中に入ってみると、大盛況。かなり混みあっている。アメコミのコーナーにも人はたくさんいたが、ドラゴンボールの単行本片手に親に「これが良い」と訴えている子供もいたりして、何というか、色んな意味で日本と変わらない。
すごいなあ、日本の漫画。
■ 五番街
そろそろ歩き疲れてきたので、地下鉄を使って6番の51 Stまで移動。そこから、午前中に寄った洋服屋さんまで歩く。
色々見てきたが、値段や品揃えから、このお店で買うのが良さそうだ。
時間帯のせいか、随分と混んでいる。ジーンズを選んでいたら、店員さんが声をかけてきた。いくら不意打ちでも、これくらいはヒアリングできる。
「May I help you?」
「試着したいんですけど、良いですか?」
これとこれと…、と、数着持って試着室に案内された。通された試着室、いわゆる靴を脱ぐ場所がないんだけれど…みんな、靴のままジーンズを履き替えるんだろうか?
仕方がないので、靴下で直に床に立つことにした。見た感じ、きちんと綺麗にしてあったが、ちょっと不思議な気分だ。そういや室内でも靴を脱がない文化の国だもんなあ。
試着したジーンズは、ちょっと大きかった。再び売り場にもどると、さっきの店員さんが再び声をかけてくる。
「さっきのどうだった?」
「ぼくにはちょっと大きかったよ。もう少し小さいのはある?」
探し出してくれた2つのサイズのうち、1つがちょうど良かったので、それを持ってレジに並んだ。
レジでは「新しい男性用の香水なんだけど、一緒にいかが?」なんて言われたが、それは断る。ジーンズ売り場で香水なんて売ってるんだなあ。
お会計を済ませて、出口に向かって歩いていたら、さっきの店員が笑顔で視線を合わせて来た。
「あなたが選んでくれたのを買ったよ」と言うと、笑顔で「Thank you」と返してくれた。
ちなみにさっきからの英語、ぼくはそう言っているつもりだが、きちんと相手に通じているかどうかは、ちょっと分からない。
■ マイケルジョーダンズステーキハウス
ホテルに戻ってひと休みした後、他の二人と合流。今回のニューヨーク旅行の最後の夕食は、グランドセントラルのマイケルジョーダンズステーキハウスで摂ることにした。名前の通り、NBAのマイケル・ジョーダンの経営するお店…なんだろう。よく朝食や昼食を摂ったダイナーは地下にあったが、ステーキハウスは中央のホールを見下ろす位置にある。
今回のツアーでは行かなかったミミーズに行こうか、と言う話もあったのだが、せっかくステーキを食べるなら、専門店の方が良いだろう、ということで、このお店で食べることに。ホテルから近かったのも、決め手のひとつだ。
隣にいたグループは、社員旅行か何かで来たっぽい、日本人のグループ。どうやら彼らは、今日、ニューヨークに着いたようだ。料理は満足そうに食べていたが、あまり計画的に何かを決めてきたわけではないようで、レストランでの振る舞いや、この後の予定についてあーでもないこーでもないと話し込んでいた。当然のことながら、日本語で。
彼らには何の非もないのだが、今晩くらいまでは、もっとアメリカを感じたかったなあ。
食べ終わって、ちょっとビールが足りなかったが、それは後でデリで買うとして、お店を出ることにした。
チェックをお願いして持ってきた伝票を見ると、Serviceみたいな項目があったので、多分、チップは含まれているんだろう。…と思ったが、不安だったので、臆面もなく店員さんに聞いてしまった。
ドレッドヘアーの黒人の男性店員が、「含まれてるよ」と答えてくれたので、額面通りをカードで支払った。
ぼくらがお店を出るか出ないかのところで、
「チップとか置かなきゃいけないんだろ? どんくらいだ?」
なんて話し合っている隣の席にいたグループの声が聞こえてきた。日本人旅行客が悩むことなんて、大差ないのかもしれない。
デリでビールを買って、ホテルの部屋でツアー最後の乾杯。
明日はもう、飛行機に乗って日本に向かうだけだ。
終わってみれば早かったなあ。
…書いてみたら随分時間が掛かったけれど…。
posted by ななし at 23:55
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| NY旅行記 2006
チャイナタウンでランチ
▼今日の行程(集合後)
タイムズスクエア
↓ (1)
[キャナルストリート(Canal St)]
↓ (歩)
南北麺館
↓ (歩)
チャイナタウン
↓ (歩)
[キャナルストリート]
↓ (6)
[ブルックリンブリッジ(City Hall Brooklyn Bridge)]
↓ (歩)
ブルックリンブリッジ
↓ (歩)
シティホール(City Hall)
■ 南北麺館 〜 チャイナタウン散策
タイムズスクエアから1番に乗って、キャナルストリートで下車する。今日のお昼は、チャイナタウンにある、正之先生オススメの中華屋さん「南北麺館」だ。
ちなみにメニューを見ると、「Marco Polo」という名前も入っている。確かに英語圏の人たちには「南北麺館」は通じにくいかもしれないけれど、そこまで関係ない名前にしなくても良いのに…。
「これが美味しい」
「こっちも美味しそう」
なんて話の末、注文するメニューが確定。店員さんにお願いする。
「じゃあ、これとー、これとー」
?! 正之先生、それ、日本語ですよ?
どうやらこの店員さん、日本で生活していたこともあったそうで、日本語が分かるんだとか。
ぼくが頼んだのはロー麺だったが、他の人と一緒に辛い麺も頼んだので、一緒にチンタオビールも注文。
正之先生の「チンタオビールあった方が美味しいよ」の言葉通り、まさに Hits the spot!
昼間から飲みすぎるわけには行かないな、と思っていたら、代わりに、食べ過ぎってくらい食べてしまった。ちょっと苦しいくらいまで食べたのを覚えている。
その後、腹ごなしがてら、チャイナタウンの散策。1〜2本奥の道まで行って、「ここのお菓子が美味しい…けどコーヒーは不味い」とか、「ここのオヤジが怪しい…らしい」とか、色んなお話や噂話を聞きながら、チャイナタウンの雰囲気を味わう。
以前、髪が伸びた状態で、床屋さんがいっぱいあるエリアを歩いていたら、「切って行け切って行け」と言われた、みたいな話もしてもらった。
チャイナタウンの食料品店(肉屋とか八百屋とか)では、「元」がそのまま使えるようで、ドルと併記してあったり、ともすれば元の値段しか書いていないところもある。
つくづく、独自の文化を維持しているんだなあ、と思う。日本人街で円が使えるかって言ったら、…使えるのかなあ?
■ ブルックリンブリッジ
ぐるりとチャイナタウンを散策して、キャナルストリートに戻った後は、そのまま地下鉄に乗り込んで、ブルックリンブリッジへ。
昨日の時点では、「一緒にお昼を食べよう」という約束だったので、ブルックリンブリッジはさらなるエクストラツアーだ。
「何か予定を組んじゃってれば、別に構わないよ」みたいな話もしていただいたが、ぼくは「ぶらつく」以外の予定はないので、むしろラッキー。同じホテルに泊まっていた方たちも、その気持ちは一緒だったようだ。
6番に乗って、ブルックリンブリッジ・シティホールの駅で降りて、ブルックリンブリッジを上る。ツアー恒例の「良いというまで振り返ってはいけません」ゲームも楽しんで、散々じらしてから、マンハッタンを眺望した。
写真にあるとおり、ちょっと天気は良くなかったが、それでもやっぱり、ブルックリンブリッジから見るマンハッタンは、マンハッタンらしくて格好良い。
今回のぼくのスケジュールをそのままこなしていたのでは、ブルックリンブリッジには行かないで終わるところだったが、ツアーの終盤でこの景色を見ることができて、やはり良かったんだと思う。
「感動がわざとらしい」と言われながらも、ここで撮った写真が、ぼくがツアー中、一番良い顔をしている写真じゃないかと思う。
橋の上からのマンハッタンを楽しんだ後は、来た道を戻って、シティホールの駅の前(上?)あたりで、「また明日空港でね」と、お別れをした。
正之先生と別れてすぐに、同じホテルに泊まっている人たちとも別れて、再び単独行動を取ることに。ぼくはもう少し好き勝手にニューヨークを歩いてみたかったし、他の人たちは…他の人たちはどこに行ったんだっけなあ? どこかお目当ての場所があったような気がするが、ちょっと記憶が定かでない。
待ち合わせ場所はホテルの部屋なので、買い物も好きにできる。
タイムズスクエア
↓ (1)
[キャナルストリート(Canal St)]
↓ (歩)
南北麺館
↓ (歩)
チャイナタウン
↓ (歩)
[キャナルストリート]
↓ (6)
[ブルックリンブリッジ(City Hall Brooklyn Bridge)]
↓ (歩)
ブルックリンブリッジ
↓ (歩)
シティホール(City Hall)
■ 南北麺館 〜 チャイナタウン散策
タイムズスクエアから1番に乗って、キャナルストリートで下車する。今日のお昼は、チャイナタウンにある、正之先生オススメの中華屋さん「南北麺館」だ。
ちなみにメニューを見ると、「Marco Polo」という名前も入っている。確かに英語圏の人たちには「南北麺館」は通じにくいかもしれないけれど、そこまで関係ない名前にしなくても良いのに…。
「これが美味しい」
「こっちも美味しそう」
なんて話の末、注文するメニューが確定。店員さんにお願いする。
「じゃあ、これとー、これとー」
?! 正之先生、それ、日本語ですよ?
どうやらこの店員さん、日本で生活していたこともあったそうで、日本語が分かるんだとか。
正之先生の「チンタオビールあった方が美味しいよ」の言葉通り、まさに Hits the spot!
昼間から飲みすぎるわけには行かないな、と思っていたら、代わりに、食べ過ぎってくらい食べてしまった。ちょっと苦しいくらいまで食べたのを覚えている。
その後、腹ごなしがてら、チャイナタウンの散策。1〜2本奥の道まで行って、「ここのお菓子が美味しい…けどコーヒーは不味い」とか、「ここのオヤジが怪しい…らしい」とか、色んなお話や噂話を聞きながら、チャイナタウンの雰囲気を味わう。
以前、髪が伸びた状態で、床屋さんがいっぱいあるエリアを歩いていたら、「切って行け切って行け」と言われた、みたいな話もしてもらった。
チャイナタウンの食料品店(肉屋とか八百屋とか)では、「元」がそのまま使えるようで、ドルと併記してあったり、ともすれば元の値段しか書いていないところもある。
つくづく、独自の文化を維持しているんだなあ、と思う。日本人街で円が使えるかって言ったら、…使えるのかなあ?
■ ブルックリンブリッジ
ぐるりとチャイナタウンを散策して、キャナルストリートに戻った後は、そのまま地下鉄に乗り込んで、ブルックリンブリッジへ。
昨日の時点では、「一緒にお昼を食べよう」という約束だったので、ブルックリンブリッジはさらなるエクストラツアーだ。
「何か予定を組んじゃってれば、別に構わないよ」みたいな話もしていただいたが、ぼくは「ぶらつく」以外の予定はないので、むしろラッキー。同じホテルに泊まっていた方たちも、その気持ちは一緒だったようだ。
写真にあるとおり、ちょっと天気は良くなかったが、それでもやっぱり、ブルックリンブリッジから見るマンハッタンは、マンハッタンらしくて格好良い。
今回のぼくのスケジュールをそのままこなしていたのでは、ブルックリンブリッジには行かないで終わるところだったが、ツアーの終盤でこの景色を見ることができて、やはり良かったんだと思う。
「感動がわざとらしい」と言われながらも、ここで撮った写真が、ぼくがツアー中、一番良い顔をしている写真じゃないかと思う。
橋の上からのマンハッタンを楽しんだ後は、来た道を戻って、シティホールの駅の前(上?)あたりで、「また明日空港でね」と、お別れをした。
正之先生と別れてすぐに、同じホテルに泊まっている人たちとも別れて、再び単独行動を取ることに。ぼくはもう少し好き勝手にニューヨークを歩いてみたかったし、他の人たちは…他の人たちはどこに行ったんだっけなあ? どこかお目当ての場所があったような気がするが、ちょっと記憶が定かでない。
待ち合わせ場所はホテルの部屋なので、買い物も好きにできる。
posted by ななし at 17:00
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| NY旅行記 2006
ひとりで歩くニューヨーク
▼今日の行程(集合前)
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル地下ダイナー
↓ (歩)
五番街
↓ (歩)
八番街のポルノショップ
↓ (歩)
タイムズスクエア
■ グランドセントラル地下ダイナー
今日はエクストラデイ、というか、オプショナルツアーというか、いわゆる「MASAと豪遊 ニューヨークツアー」のスケジュールにはない日。基本的に自由行動だ。もっともツアー中もずっと自由行動みたいなもので、「どうしてもここに行きたいんで」と言えば別行動も可能だったと思うが。…まぁせっかくのツアーで、特別な理由なくそんなことをする必要もないか。
今回の旅行ではすっかり御馴染みになってしまった、グランドセントラル地下ダイナー。ホテルが近いこともあるが、ここは何より、お手軽に食べられるのが良い。ただ、あまりに手軽すぎて、英語の上達は見込めない。極端な話、指差しと「Thanks」でことが済んでしまう。…もうちょっとくらい話すか。
同じホテルに泊まっている人たちと、今日の予定を確認する。
彼らは、チョコレートを買いに行くそうだ。ぼくはホテルの1階にあったチョコレート屋さんで、チョコを買ってしまったので(結構美味しかった)、そちらは遠慮して、一人でぶらぶらすることにした。
お昼の待ち合わせ場所と時間を決めて、しばしの一人行動。ニューヨークの街を得に不安にもならずに一人で歩けるようになったんだから、ぼくも随分進歩したもんだ。
■ 五番街
ホテルからそのまま北に向かって、五番街の洋服屋さんを物色する。今回の旅行では、是非とも、ニューヨークで洋服を買って帰りたいと思っていたのだ。…まぁ初めて来たときも、WWE(アメリカのプロレス団体)の直営店で、Tシャツを200ドル分くらい買ったので、思いっきり「洋服を買って帰って」はいるのだが。
五番街でいくつかのお店を覗いて、それとなくめぼしをつけておいた。
■ 八番街のポルノショップ
さて、この旅行記をお読みのみなさんは、ドラマブックショップへ向かって歩いている時の話を覚えているだろうか?
再掲しよう。
本当に興味がないと思われてしまっては困る…こともないけれど、誤解を与えてしまうので、今回、行ってみることにしたのだ。
少し上の行で、「ぼくはもうチョコを買ってしまったので」と書いているが、この、ポルノショップに行ってみよう、と思っていたことも、単独行動を取った理由のひとつだ。
別に同じホテルに宿泊していた人も男性なんだから、
「ポルノショップ行ってみません?」
とか誘っても良かったのだが、お二人とも、何となく、そういうのは嫌いっぽい雰囲気を持っていて、誘えなかったのだ。後日…というか当日、合流した後、そんな話をしてみたら、一人の方は「そんなことないよ、好きだよ」と言っていた。…誘えばよかったかな?
と、いうところで、以下はそういうお店の話なので、お嫌いな方はご覧にならず、集合後の日記をお読みになることをお勧めします。続きを読む
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル地下ダイナー
↓ (歩)
五番街
↓ (歩)
八番街のポルノショップ
↓ (歩)
タイムズスクエア
■ グランドセントラル地下ダイナー
今回の旅行ではすっかり御馴染みになってしまった、グランドセントラル地下ダイナー。ホテルが近いこともあるが、ここは何より、お手軽に食べられるのが良い。ただ、あまりに手軽すぎて、英語の上達は見込めない。極端な話、指差しと「Thanks」でことが済んでしまう。…もうちょっとくらい話すか。
同じホテルに泊まっている人たちと、今日の予定を確認する。
彼らは、チョコレートを買いに行くそうだ。ぼくはホテルの1階にあったチョコレート屋さんで、チョコを買ってしまったので(結構美味しかった)、そちらは遠慮して、一人でぶらぶらすることにした。
お昼の待ち合わせ場所と時間を決めて、しばしの一人行動。ニューヨークの街を得に不安にもならずに一人で歩けるようになったんだから、ぼくも随分進歩したもんだ。
■ 五番街
ホテルからそのまま北に向かって、五番街の洋服屋さんを物色する。今回の旅行では、是非とも、ニューヨークで洋服を買って帰りたいと思っていたのだ。…まぁ初めて来たときも、WWE(アメリカのプロレス団体)の直営店で、Tシャツを200ドル分くらい買ったので、思いっきり「洋服を買って帰って」はいるのだが。
五番街でいくつかのお店を覗いて、それとなくめぼしをつけておいた。
■ 八番街のポルノショップ
さて、この旅行記をお読みのみなさんは、ドラマブックショップへ向かって歩いている時の話を覚えているだろうか?
再掲しよう。
ここに向かう途中、どういうわけか、ポルノショップの話になった。
「そういうお店には興味ないの?」
「いやいや、興味ないことはないですけど、怖いじゃないですか」
「あー、大丈夫。ちっとも怖くないよー」
本当に興味がないと思われてしまっては困る…こともないけれど、誤解を与えてしまうので、今回、行ってみることにしたのだ。
少し上の行で、「ぼくはもうチョコを買ってしまったので」と書いているが、この、ポルノショップに行ってみよう、と思っていたことも、単独行動を取った理由のひとつだ。
別に同じホテルに宿泊していた人も男性なんだから、
「ポルノショップ行ってみません?」
とか誘っても良かったのだが、お二人とも、何となく、そういうのは嫌いっぽい雰囲気を持っていて、誘えなかったのだ。後日…というか当日、合流した後、そんな話をしてみたら、一人の方は「そんなことないよ、好きだよ」と言っていた。…誘えばよかったかな?
と、いうところで、以下はそういうお店の話なので、お嫌いな方はご覧にならず、集合後の日記をお読みになることをお勧めします。続きを読む
posted by ななし at 13:00
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| NY旅行記 2006
2006年07月04日(Tue)
独立記念日の夜のNY
▼今日の行程(集合後 その2)
シェリダンスクエア
↓ (3)
[タイムズスクエア]
↓ (7)
[グランドセントラル]
↓ (2)
125 St
↓ (歩)
ハーレム
↓ (歩)
125 St
↓ (4)
[グランドセントラル]
↓ (7)
[タイムズスクエア]
↓ (1)
[50 St]
↓ (歩)
あやしいオヤジのパスタ屋
↓ (歩)
[先生の以前のステイ先]
↓ (歩)
[63 St]
↓ (F)
[ルーズベルト島(Roosevelt Island)]
↓ (歩)
花火会場
↓ (歩)
[ルーズベルト島]
↓ (F)
[ヘラルドスクエア(34 St Herald Sq)]
↓ (Q)
[デカルブ(Dekalb Av)]
↓ (N)
[ホワイトホール(Whitehall St)]
↓ (N)
[デカルブ]
↓ (Q)
[タイムズスクエア]
↓ (7)
[グランドセントラル]
↓ (歩)
[ホテル]
↓ (歩)
レキシントン通りのデリ
↓ (歩)
ホテル
■ 125 St 〜 ハーレム
シェリダンスクエアから再びぐーっと北上してたどり着いたのは、125 St。ハーレムだ。
♪ ハーレム、125の地下鉄で…
と、「泣き男Subway」の一節が思い出される、あのハーレム。ここも、以前はとっても怖い街だったが、今ではすっかり治安が良くなったそうだ。
以前のニューヨークツアーでのエピソードをうかがったり、道沿いのお店の面白い柄のTシャツを見たりしながら、ハーレムの雰囲気を味わっているうちに、125 Stの駅に着いた。といっても、さっき降りた、2番の通る125 Stではなくて、4番の通る125 St。125 Stを、西から東に歩いたことになる。
■ あやしいオヤジのパスタ屋
ハーレムからタイムズスクエアまで南下し、昨日、一度は決定したのに変更になった、"あやしいオヤジのパスタ屋"で食事を摂る。
以前は、店の前でカンツォーネ(だか何だか分からないが)を歌うオヤジがいたらしいが、今はもういない。代わりにその息子と思われる人がマスターをやっていて、その人も結構あやしいらしい。
実際に、"あやしい"の言葉を裏付けるかのように、不思議なテンションで随分と気さくに話しかけてきて、「え、サイドオーダーしないの?しなよー、少ないよー?」みたいな話術を駆使して、正之先生からサイドオーダーを引き出していた。
みんなでパスタ(とピザ)の回し食べ。どれも美味しい! ちなみに、量はちっとも少なくなかった。ピザを頼んでいた人は、結局、食べきれずに、容器をもらって持ち帰っていたくらいだ。
■ タイムズスクエア 〜 ルーズベルト島
お腹がいっぱいになった後は、腹ごなしも兼ねて、ずぅーっと徒歩で北上。正之先生が以前ステイしていた建物の前なんかを通過して、Fラインの63 Stの駅まで歩いた。この徒歩の間、ぼくは腰が痛くてかなわなかった。朝から結構歩いていたせいだと思うのだが、これだけ痛くなったのは、過去に参加したニューヨークツアーを含めても初めて。ちょっと甘く見ていた。
おかげで、この間に歩いた場所やら話した内容やらは、あんまり頭に入っていない…。実際、ほとんどしゃべっていない気がする。
このFラインの63 Stの駅から地下鉄に乗って、独立記念日の花火を見るべく、ルーズベルト島に渡る。2004年のツアーではトラムウェイを使ってルーズベルト島に渡ったが、現在トラムは運休中。トラムからの景色もなかなか良いものだったので、運休は残念だ。ちなみに、この文章を書くにあたって調べてみたら、2006年4月11日に立ち往生する事故があり、それから8月いっぱいまで運休していたようだ。9月1日から、運転を再開しているとのこと。
■ ルーズベルト島 花火会場
ルーズベルト島の駅では、エスカレーターが停止していた。この駅は、イーストリバーを下から越える途中にある駅なので、ものすごく深い。みんな苦笑いしながら長い長い階段を上っていた。こういうときのアメリカ人の表情は、なかなかに面白い。色々声を出しながら上っている。日本人なら黙々と上ってそうだものなあ。もっとも、今から独立記念日の花火を観に行こう、っていうんだから、気分が盛り上がっていただけかもしれないが。
…と、階段を上っていくにつれて、アメリカ人たちの声も小さくなっていった。やっぱ疲れるのね…。
腰が痛かったぼくはと言えば、それを心配してくれている人の「大丈夫?」という言葉をよそに、平気な顔で上っていた。腰の痛みは、何もせずに立っている状態が一番きつい。次が、平地を歩いている時。階段を上るのは、実はそんなに痛くないのだ。理由は…知らない。
階段を上がりきると、かなりの人出。花火を見るなら、島の南端が最高なのだが、何とそこは、有料。値段は忘れてしまったが、10ドルくらいしていた気がする。さらにいえば、チケットも売り切れていた。
それでも、有料エリアに可能な限り近付いたあたりまで行って、そこで花火を待とう、ということになった。周りにもたくさんの見物客が、同様に座っている。
座りながらも、どうする?ここから見る? マンハッタンに戻って、1st Ave.の辺りから見えないかな? でもそこはもう、人がいっぱいかな? なんてことを話し合って(というか正之先生が色々と提言して)いたんですが、最終的に決まったのは、
「地下鉄から見る」
というもの。ルーズベルト島に来た地下鉄は、地下からイーストリバーをくぐるが、QラインとNラインは、橋を渡る。そのとき、電車の窓から花火が見えるはず、というプランだ。
地下鉄が渡る橋は、交通規制を敷いて、有料の見学エリアにしているくらいの好スポット。通過中しか見れないというデメリットはあるが、ルーズベルト島にいてもきちんと見られるかは分からない。
そうと決まれば、もう移動しないと間に合わない。ぼくらは人の流れとは逆に、再びルーズベルト島の駅に向かうことにした。
ちなみに、このときしばらく座っていたおかげで腰はだいぶ回復して、この後は普通に歩くことができた。
■ ルーズベルト島 〜 Qライン、Nライン
ルーズベルト島の駅のエスカレーターはまだ止まったままだった。苦笑いを浮かべながら上ってくる見物客を横目に、ぼくらは止まったままの下りエスカレーターを歩いて下りる。さっき乗ってきたFラインを使ってヘラルドスクエアへ行き、そこからQラインに乗り換えた。
あとは、この地下鉄が橋を渡るのを待つだけだ。時計を見ると、時間はちょうど良い。
「いよいよですね」
「見えるかなあ?」
「勝負ですね」
列車の窓から見える景色が、地下鉄の壁からマンハッタンの夜景に変化した。
まだ見えているのはビルの灯りばかり。
列車は段々と橋を上る。ビルに赤や青の光が映っているのが分かるが、これは花火ではなく、ビルの灯りだろう。
列車が川に差し掛かり、ビルが途切れる。
『おー!』
思わず声が上がる。
イーストリバーの上に、赤、青、白の、星条旗カラーの花火が上がっていた。
「わー、綺麗だ」
「やったね!」
「勝ちましたね、勝負!」
残念ながら音は聞こえないが、次々と上がる花火が見えた。
列車内は閑散。偶然同じ車両に乗っていた人たちも、ぼくらの反応を見て、外の景色に気付いていたようだ。
ずっと観ていられれば良いのだが、列車は橋を渡れば、再び地下に潜ってしまう。
上の行程表で、駅を行ったり来たりしているのは、この橋を何度も渡ったからだ。
とはいえ、2往復目を試みた時には、すでに花火は終了していた。
■ レキシントン通りのデリ
花火も終わってしまったので、地下鉄を乗り継いで、グランドセントラルに戻った。
ぼくらは明日もまだこの街にいるが、今日7月4日はツアー最終日。ぼくらの泊まっていたルーズベルトホテルのバーへ行ったらいっぱいで、そのままレキシントンアヴェニューのデリまで歩いて、そこでツアーの「打ち上げ」を行った。
このデリは、2階に飲食できるスペースがある。1階で飲み物を買って、2階に上がる。こんな時間に2階を使っている人は誰もおらず、いるのはツアーの参加者だけだ。
ここはラディソン・レキシントンのすぐ近くで、以前のツアーでそこに泊まった時、何度か使った覚えがある。正之先生も以前は使っていたらしい。
そんな話をしながら、ビールを1本…ぼくは2本飲んだっけな? ささやかな打ち上げを行って、デリを後にした。
そういえば、この時、一本余ったビールをいただいた。このビールは今でも栓を開けずに置いてある。このツアーの記念…というよりは、ぼくの家に栓抜きがなかったからなのだが。
ちなみに今はもう栓抜きもあるのだが、結局、このビールは飲んでいない。途中まで取っておいたものだと、何となくそのまま取っておきたくなってしまうのかもしれない。
デリからグランドセントラル方向に向かう道すがら、正之先生が、参加者ひとりひとりの姿を撮りながら、会話を交わす。
「良い誕生日になりました」
「あ、今日誕生日なんだよね! Happy birthday!」
「Thank you!」
がっしりと力強い握手。
リクエストショーの会場の出口でも感じることだが、この握手の力強さに、毎回、ちょっとした感動を覚える。挨拶の握手でも、ビジネスの握手でもない、心を感じる握手だ。
次に逢うのはもう日本、という人に、お別れのご挨拶をして、ホテルに戻った。
シェリダンスクエア
↓ (3)
[タイムズスクエア]
↓ (7)
[グランドセントラル]
↓ (2)
125 St
↓ (歩)
ハーレム
↓ (歩)
125 St
↓ (4)
[グランドセントラル]
↓ (7)
[タイムズスクエア]
↓ (1)
[50 St]
↓ (歩)
あやしいオヤジのパスタ屋
↓ (歩)
[先生の以前のステイ先]
↓ (歩)
[63 St]
↓ (F)
[ルーズベルト島(Roosevelt Island)]
↓ (歩)
花火会場
↓ (歩)
[ルーズベルト島]
↓ (F)
[ヘラルドスクエア(34 St Herald Sq)]
↓ (Q)
[デカルブ(Dekalb Av)]
↓ (N)
[ホワイトホール(Whitehall St)]
↓ (N)
[デカルブ]
↓ (Q)
[タイムズスクエア]
↓ (7)
[グランドセントラル]
↓ (歩)
[ホテル]
↓ (歩)
レキシントン通りのデリ
↓ (歩)
ホテル
■ 125 St 〜 ハーレム
シェリダンスクエアから再びぐーっと北上してたどり着いたのは、125 St。ハーレムだ。
♪ ハーレム、125の地下鉄で…
と、「泣き男Subway」の一節が思い出される、あのハーレム。ここも、以前はとっても怖い街だったが、今ではすっかり治安が良くなったそうだ。
以前のニューヨークツアーでのエピソードをうかがったり、道沿いのお店の面白い柄のTシャツを見たりしながら、ハーレムの雰囲気を味わっているうちに、125 Stの駅に着いた。といっても、さっき降りた、2番の通る125 Stではなくて、4番の通る125 St。125 Stを、西から東に歩いたことになる。
■ あやしいオヤジのパスタ屋
ハーレムからタイムズスクエアまで南下し、昨日、一度は決定したのに変更になった、"あやしいオヤジのパスタ屋"で食事を摂る。
以前は、店の前でカンツォーネ(だか何だか分からないが)を歌うオヤジがいたらしいが、今はもういない。代わりにその息子と思われる人がマスターをやっていて、その人も結構あやしいらしい。

みんなでパスタ(とピザ)の回し食べ。どれも美味しい! ちなみに、量はちっとも少なくなかった。ピザを頼んでいた人は、結局、食べきれずに、容器をもらって持ち帰っていたくらいだ。
■ タイムズスクエア 〜 ルーズベルト島
お腹がいっぱいになった後は、腹ごなしも兼ねて、ずぅーっと徒歩で北上。正之先生が以前ステイしていた建物の前なんかを通過して、Fラインの63 Stの駅まで歩いた。この徒歩の間、ぼくは腰が痛くてかなわなかった。朝から結構歩いていたせいだと思うのだが、これだけ痛くなったのは、過去に参加したニューヨークツアーを含めても初めて。ちょっと甘く見ていた。
おかげで、この間に歩いた場所やら話した内容やらは、あんまり頭に入っていない…。実際、ほとんどしゃべっていない気がする。
このFラインの63 Stの駅から地下鉄に乗って、独立記念日の花火を見るべく、ルーズベルト島に渡る。2004年のツアーではトラムウェイを使ってルーズベルト島に渡ったが、現在トラムは運休中。トラムからの景色もなかなか良いものだったので、運休は残念だ。ちなみに、この文章を書くにあたって調べてみたら、2006年4月11日に立ち往生する事故があり、それから8月いっぱいまで運休していたようだ。9月1日から、運転を再開しているとのこと。
■ ルーズベルト島 花火会場
…と、階段を上っていくにつれて、アメリカ人たちの声も小さくなっていった。やっぱ疲れるのね…。
腰が痛かったぼくはと言えば、それを心配してくれている人の「大丈夫?」という言葉をよそに、平気な顔で上っていた。腰の痛みは、何もせずに立っている状態が一番きつい。次が、平地を歩いている時。階段を上るのは、実はそんなに痛くないのだ。理由は…知らない。
階段を上がりきると、かなりの人出。花火を見るなら、島の南端が最高なのだが、何とそこは、有料。値段は忘れてしまったが、10ドルくらいしていた気がする。さらにいえば、チケットも売り切れていた。
それでも、有料エリアに可能な限り近付いたあたりまで行って、そこで花火を待とう、ということになった。周りにもたくさんの見物客が、同様に座っている。
座りながらも、どうする?ここから見る? マンハッタンに戻って、1st Ave.の辺りから見えないかな? でもそこはもう、人がいっぱいかな? なんてことを話し合って(というか正之先生が色々と提言して)いたんですが、最終的に決まったのは、
「地下鉄から見る」
というもの。ルーズベルト島に来た地下鉄は、地下からイーストリバーをくぐるが、QラインとNラインは、橋を渡る。そのとき、電車の窓から花火が見えるはず、というプランだ。
地下鉄が渡る橋は、交通規制を敷いて、有料の見学エリアにしているくらいの好スポット。通過中しか見れないというデメリットはあるが、ルーズベルト島にいてもきちんと見られるかは分からない。
そうと決まれば、もう移動しないと間に合わない。ぼくらは人の流れとは逆に、再びルーズベルト島の駅に向かうことにした。
ちなみに、このときしばらく座っていたおかげで腰はだいぶ回復して、この後は普通に歩くことができた。
■ ルーズベルト島 〜 Qライン、Nライン
ルーズベルト島の駅のエスカレーターはまだ止まったままだった。苦笑いを浮かべながら上ってくる見物客を横目に、ぼくらは止まったままの下りエスカレーターを歩いて下りる。さっき乗ってきたFラインを使ってヘラルドスクエアへ行き、そこからQラインに乗り換えた。
あとは、この地下鉄が橋を渡るのを待つだけだ。時計を見ると、時間はちょうど良い。
「いよいよですね」
「見えるかなあ?」
「勝負ですね」
列車の窓から見える景色が、地下鉄の壁からマンハッタンの夜景に変化した。
まだ見えているのはビルの灯りばかり。
列車は段々と橋を上る。ビルに赤や青の光が映っているのが分かるが、これは花火ではなく、ビルの灯りだろう。
列車が川に差し掛かり、ビルが途切れる。
『おー!』
思わず声が上がる。
イーストリバーの上に、赤、青、白の、星条旗カラーの花火が上がっていた。
「わー、綺麗だ」
「やったね!」
「勝ちましたね、勝負!」
残念ながら音は聞こえないが、次々と上がる花火が見えた。
列車内は閑散。偶然同じ車両に乗っていた人たちも、ぼくらの反応を見て、外の景色に気付いていたようだ。
ずっと観ていられれば良いのだが、列車は橋を渡れば、再び地下に潜ってしまう。
上の行程表で、駅を行ったり来たりしているのは、この橋を何度も渡ったからだ。
とはいえ、2往復目を試みた時には、すでに花火は終了していた。
■ レキシントン通りのデリ
花火も終わってしまったので、地下鉄を乗り継いで、グランドセントラルに戻った。
ぼくらは明日もまだこの街にいるが、今日7月4日はツアー最終日。ぼくらの泊まっていたルーズベルトホテルのバーへ行ったらいっぱいで、そのままレキシントンアヴェニューのデリまで歩いて、そこでツアーの「打ち上げ」を行った。
このデリは、2階に飲食できるスペースがある。1階で飲み物を買って、2階に上がる。こんな時間に2階を使っている人は誰もおらず、いるのはツアーの参加者だけだ。
ここはラディソン・レキシントンのすぐ近くで、以前のツアーでそこに泊まった時、何度か使った覚えがある。正之先生も以前は使っていたらしい。
そんな話をしながら、ビールを1本…ぼくは2本飲んだっけな? ささやかな打ち上げを行って、デリを後にした。

ちなみに今はもう栓抜きもあるのだが、結局、このビールは飲んでいない。途中まで取っておいたものだと、何となくそのまま取っておきたくなってしまうのかもしれない。
デリからグランドセントラル方向に向かう道すがら、正之先生が、参加者ひとりひとりの姿を撮りながら、会話を交わす。
「良い誕生日になりました」
「あ、今日誕生日なんだよね! Happy birthday!」
「Thank you!」
がっしりと力強い握手。
リクエストショーの会場の出口でも感じることだが、この握手の力強さに、毎回、ちょっとした感動を覚える。挨拶の握手でも、ビジネスの握手でもない、心を感じる握手だ。
次に逢うのはもう日本、という人に、お別れのご挨拶をして、ホテルに戻った。
posted by ななし at 23:55
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| NY旅行記 2006
独立記念日の午後のNY
▼今日の行程(集合後 その1)
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル地下ダイナー
↓ (6)
103 St
↓ (歩)
ニューヨーク市立博物館
↓ (歩)
103 St
↓ (6)
[グランドセントラル]
↓ (7)
[タイムズスクエア]
↓ (3)
シェリダンスクエア(Christopher St Sheridan Sq)
↓ (歩)
ハドソンリバーの突端
↓ (歩)
シェリダンスクエア
■ グランドセントラル地下 ダイナー
NYに来てからすっかりお世話になっている、グランドセントラルの地下にあるダイナー。正之先生に薦められた、カレー屋さんに行ってみると、ちょうど、先生がカレーを買っているところだった。
「正之先生!」
「あー、やっぱりカレーにしたんだ?」
なんて会話をしていたら、カレー屋のマスターから、日本語で話しかけられた。
「あー、話しかけるから、日本人ってばれちゃったよ」
カレー屋のマスター、日本に滞在していた経験があるそうで、ちょっと怪しいが、日本語を話すことができるらしい。
「これ、辛い! こっち、あんまり辛くない」
「じゃあ、辛いやつください。...and Spring water」
なんて、中途半端に英単語を交えつつも、ほとんど日本語で買ってしまった。こういうことだから、英語がしゃべれるようにならないんだ。…いや、それ以前の問題の方が大きいだろうけど。
一緒に買っていた人は、ぼくや先生と話してるんだから日本人だってばれているだろうに、ちゃんと英語で注文していた。
その後、皆さん集まって、お昼ごはん。先生お勧めのカレーを食べている人が多かった。ぼくが買ってきたのはチキンカレーと野菜のカレー…だったかな? 正之先生もチキンカレーを買ってきていた。
マニアな方は「え?」と思われたかもしれない。「山本正之は鶏肉が嫌い」というのは、CDのブックレットにも書いてあったし、ライヴの時にもたまに話題になる。でも、この日は、「世にも珍しい、チキンを食べる山本正之」を見ることができた。誰が「世にも珍しい…」なんて言ったかって、正之先生本人だ。「好きではない」とは言っていたが、まったくダメというわけではないようだ。さすがに、全部は食べていなかった。
■ ニューヨーク市立博物館
お昼を摂った後は、そのままグランドセントラルからメトロに乗って北上。103 Stで降りた。セントラルパークの北東側には来たのは、初めてじゃなかろうか。静かな住宅街で、団地じみた建物や、学校なんかがある。人種としては黒人が多い。
途中、消火栓から水を出して遊んでいる子供たちを見かけた。もしかしたら遊んでいるんじゃなくて、洗車に利用していたのかもしれない。どちらにしても、恐らく勝手に使っちゃってるんだよなあ?
そんな風景を見ながら駅から西に進んで、少し急な坂を登るとセントラルパークが見えてきた。そのセントラルパーク沿いに、ニューヨーク市立博物館がある。
この上なくやる気のない横柄な白人の切符売りからチケットを買って、博物館の中に入る。順番に展示物を眺めていくが、何よりも大きな目的は、一番上の階の一番奥の部屋にある、肖像画。「サスクハナ号の曳航III 星のキャロライン」で歌われている、キャロライン。サスクハナ号のキャプテン、ペリーの娘が描かれている。
あまり人の多くない、恐らくこの博物館でもメインとは思われていない、少し暗い部屋の壁に、その肖像画はあった。とても上品で、どちらかといえば綺麗系の顔立ちなのに、どこか可愛らしさを含んだ表情。この人がキャロラインか。
しっとりとした雰囲気の中、じっとキャロラインを眺め入る先生。そのやさしい表情に釣られて、ぼくらもじぃっと眺める。
たまたまやってきた他のお客が、少し不可解そうにぼくらの方を見ていた気がしたのは、気のせいだったろうか。
しばしキャロラインを眺めた後、別の展示物も見て回った。昔のマンハッタンの様子やら何やらを見て、劇場にあるシートのようなベンチでひと休み。
数日前に市立博物館の見学を済ませていた参加者の方との待ち合わせ時間には、もう少し時間があった。みなさん、トイレに行ったり、小声でお話していたり。
ここで思い付いた。キャロラインの写真を撮ってこよう!
この市立博物館は、どうやら写真を撮るのはOKらしい。どこにも禁止の表示がないし、カメラを構えながら歩いていたお客や、実際に撮影している人がいても、警備員は全く気にしていない。
さっきキャロラインの前にいた時は、ちょっと、カメラのことは頭になかった。例えあっても、喜び勇んで写真を撮影する雰囲気ではなかった。今、一人であの部屋に行って…。そう思ってぼくが立ち上がったのとほぼ同じタイミングで、正之先生が口を開いた。
「もう一度キャロラインに逢ってくるよ」
じゃあ私も、じゃあぼくも、と、みなさんそれに倣う。もちろん、ぼくも。
みんなでキャロラインをじっと見つめる中、やっぱり写真は撮れなかった。
でもまあ、それで良かったのかもしれないな、とも思う。
写真に残っているといつでも見られるけれど、滅多に見られないものってのもあって良いのかもしれない。
最後にもう一度キャロラインを見つめた後、市立博物館を出る。
と、帰り際、正之先生が、さっきのやる気のない切符売りに向かって、口を開いた。
「もうちょっと真面目に仕事やれー」
発した言葉は日本語。言われた切符売りは、きょとんとした顔をしていた。
やっぱり正之先生も、あの態度には思うところあったんだなあ。
■ シェリダンスクエア〜ハドソンの突端
市立博物館を後にして、再び103 Stの駅へ。今度はぐっと南下する。向かったのがハドソンリバー沿岸なので、正しくは南西だ。
地下鉄を降りたそこは、シェリダンスクエア。
♪君の街はグリニッジのシェリダンスクエアの…
イタリア人がチャコールは売っていなかったと思う(少なくともぼくは見ていない。まぁ夏だし)が、「TOWN」の歌詞が思い出される。
地下鉄の駅から向かったのは、ハドソンリバーの突端。
以前のNYツアーで、何にもない突端に寝転んで、その寝転んだ正之先生をみんながカメラに収めて、ということをしたんだそうだ。
そのエピソードが歌われているのが「film」。
♪ハドソンの突端に 寝転んでいたよ 風が強く吹いて 誓いのカメラ…
その何もなかったという突端は、今ではすっかり整備されて、公園になってた。
当時はなかった信号もできていて、随分と様変わりしたんだそうだ。
「あれー、こっちの突端だっけ? あっちだっけ?」
行ってみると、二つの突端があった。あまりの違いぶりに、その時のツアーに参加されていたご夫婦(当時はまだ夫婦ではなかった)と先生が、意見の交換をしている。
「こっちだ!…と思うよ?」
という戦線の横で、うんうんと頷くお二人。右側の突端が、恐らくその時に寝転んだ方であろう、という結論が出た。なお、帰国後に当時の写真を調べた結果、この説は正しかったことが分かったそうだ。
当時と今の違いや、当時のエピソードを聞きながら、ハドソンリバーの先にある自由の女神を眺め、「ここがあの時と同じ場所!」と言って寝転んだ先生の写真を撮った。
その時のツアーに参加されていた方も同じように寝転んで、ぼくも真似して寝転んでみた。あー、空が広い…なんて思っていたら、先生に押さえ込まれて、3カウント取られてしまった。
ひとしきり突端を楽しんで、再び駅に向かうべく信号待ちをしていると、ぼくらの右前方で、二人組の男性が同じように信号を待っていた。
…同じように? 何か違和感がある。あ、そうか、手を握り合ってるんだ。しかも絡みつくようにしっかりと。信号が"Walk"に変わってみんなが歩き出すと、その二人の男性は、向き合って口付けを交わし、また歩いていった。
アメリカでは同性愛者も堂々としているんだなあ、と関心してしまった。どうしてもぼくの感覚だと、好奇の目で見てしまいそうになる。
「ここらへんはゲイの本場だからね」
と、しばらくした後、先生が教えてくれた。
なるほど、そういえばさっきの突端でも、やたら仲がの良さげな男性たちを、何組か見かけていた。
この旅行記を書いている時に知ったのだが、実はこのクリストファーストリート、かつては”ゲイストリート”と呼ばれていたこともあるという。「かつて」ということは今は呼ばれていないのかもしれないが、今でもその名の通りの場所なんじゃなかろうか。
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル地下ダイナー
↓ (6)
103 St
↓ (歩)
ニューヨーク市立博物館
↓ (歩)
103 St
↓ (6)
[グランドセントラル]
↓ (7)
[タイムズスクエア]
↓ (3)
シェリダンスクエア(Christopher St Sheridan Sq)
↓ (歩)
ハドソンリバーの突端
↓ (歩)
シェリダンスクエア
■ グランドセントラル地下 ダイナー
NYに来てからすっかりお世話になっている、グランドセントラルの地下にあるダイナー。正之先生に薦められた、カレー屋さんに行ってみると、ちょうど、先生がカレーを買っているところだった。
「正之先生!」
「あー、やっぱりカレーにしたんだ?」
なんて会話をしていたら、カレー屋のマスターから、日本語で話しかけられた。
「あー、話しかけるから、日本人ってばれちゃったよ」
カレー屋のマスター、日本に滞在していた経験があるそうで、ちょっと怪しいが、日本語を話すことができるらしい。
「これ、辛い! こっち、あんまり辛くない」
「じゃあ、辛いやつください。...and Spring water」
なんて、中途半端に英単語を交えつつも、ほとんど日本語で買ってしまった。こういうことだから、英語がしゃべれるようにならないんだ。…いや、それ以前の問題の方が大きいだろうけど。
一緒に買っていた人は、ぼくや先生と話してるんだから日本人だってばれているだろうに、ちゃんと英語で注文していた。
マニアな方は「え?」と思われたかもしれない。「山本正之は鶏肉が嫌い」というのは、CDのブックレットにも書いてあったし、ライヴの時にもたまに話題になる。でも、この日は、「世にも珍しい、チキンを食べる山本正之」を見ることができた。誰が「世にも珍しい…」なんて言ったかって、正之先生本人だ。「好きではない」とは言っていたが、まったくダメというわけではないようだ。さすがに、全部は食べていなかった。
■ ニューヨーク市立博物館

途中、消火栓から水を出して遊んでいる子供たちを見かけた。もしかしたら遊んでいるんじゃなくて、洗車に利用していたのかもしれない。どちらにしても、恐らく勝手に使っちゃってるんだよなあ?
そんな風景を見ながら駅から西に進んで、少し急な坂を登るとセントラルパークが見えてきた。そのセントラルパーク沿いに、ニューヨーク市立博物館がある。
あまり人の多くない、恐らくこの博物館でもメインとは思われていない、少し暗い部屋の壁に、その肖像画はあった。とても上品で、どちらかといえば綺麗系の顔立ちなのに、どこか可愛らしさを含んだ表情。この人がキャロラインか。
しっとりとした雰囲気の中、じっとキャロラインを眺め入る先生。そのやさしい表情に釣られて、ぼくらもじぃっと眺める。
たまたまやってきた他のお客が、少し不可解そうにぼくらの方を見ていた気がしたのは、気のせいだったろうか。
しばしキャロラインを眺めた後、別の展示物も見て回った。昔のマンハッタンの様子やら何やらを見て、劇場にあるシートのようなベンチでひと休み。
数日前に市立博物館の見学を済ませていた参加者の方との待ち合わせ時間には、もう少し時間があった。みなさん、トイレに行ったり、小声でお話していたり。
ここで思い付いた。キャロラインの写真を撮ってこよう!
この市立博物館は、どうやら写真を撮るのはOKらしい。どこにも禁止の表示がないし、カメラを構えながら歩いていたお客や、実際に撮影している人がいても、警備員は全く気にしていない。
さっきキャロラインの前にいた時は、ちょっと、カメラのことは頭になかった。例えあっても、喜び勇んで写真を撮影する雰囲気ではなかった。今、一人であの部屋に行って…。そう思ってぼくが立ち上がったのとほぼ同じタイミングで、正之先生が口を開いた。
「もう一度キャロラインに逢ってくるよ」
じゃあ私も、じゃあぼくも、と、みなさんそれに倣う。もちろん、ぼくも。
みんなでキャロラインをじっと見つめる中、やっぱり写真は撮れなかった。
でもまあ、それで良かったのかもしれないな、とも思う。
写真に残っているといつでも見られるけれど、滅多に見られないものってのもあって良いのかもしれない。
最後にもう一度キャロラインを見つめた後、市立博物館を出る。
と、帰り際、正之先生が、さっきのやる気のない切符売りに向かって、口を開いた。
「もうちょっと真面目に仕事やれー」
発した言葉は日本語。言われた切符売りは、きょとんとした顔をしていた。
やっぱり正之先生も、あの態度には思うところあったんだなあ。
■ シェリダンスクエア〜ハドソンの突端
市立博物館を後にして、再び103 Stの駅へ。今度はぐっと南下する。向かったのがハドソンリバー沿岸なので、正しくは南西だ。
地下鉄を降りたそこは、シェリダンスクエア。
♪君の街はグリニッジのシェリダンスクエアの…
イタリア人がチャコールは売っていなかったと思う(少なくともぼくは見ていない。まぁ夏だし)が、「TOWN」の歌詞が思い出される。
以前のNYツアーで、何にもない突端に寝転んで、その寝転んだ正之先生をみんながカメラに収めて、ということをしたんだそうだ。
そのエピソードが歌われているのが「film」。
♪ハドソンの突端に 寝転んでいたよ 風が強く吹いて 誓いのカメラ…
その何もなかったという突端は、今ではすっかり整備されて、公園になってた。
当時はなかった信号もできていて、随分と様変わりしたんだそうだ。
「あれー、こっちの突端だっけ? あっちだっけ?」
行ってみると、二つの突端があった。あまりの違いぶりに、その時のツアーに参加されていたご夫婦(当時はまだ夫婦ではなかった)と先生が、意見の交換をしている。
「こっちだ!…と思うよ?」
という戦線の横で、うんうんと頷くお二人。右側の突端が、恐らくその時に寝転んだ方であろう、という結論が出た。なお、帰国後に当時の写真を調べた結果、この説は正しかったことが分かったそうだ。
当時と今の違いや、当時のエピソードを聞きながら、ハドソンリバーの先にある自由の女神を眺め、「ここがあの時と同じ場所!」と言って寝転んだ先生の写真を撮った。
その時のツアーに参加されていた方も同じように寝転んで、ぼくも真似して寝転んでみた。あー、空が広い…なんて思っていたら、先生に押さえ込まれて、3カウント取られてしまった。
…同じように? 何か違和感がある。あ、そうか、手を握り合ってるんだ。しかも絡みつくようにしっかりと。信号が"Walk"に変わってみんなが歩き出すと、その二人の男性は、向き合って口付けを交わし、また歩いていった。
アメリカでは同性愛者も堂々としているんだなあ、と関心してしまった。どうしてもぼくの感覚だと、好奇の目で見てしまいそうになる。
「ここらへんはゲイの本場だからね」
と、しばらくした後、先生が教えてくれた。
なるほど、そういえばさっきの突端でも、やたら仲がの良さげな男性たちを、何組か見かけていた。
この旅行記を書いている時に知ったのだが、実はこのクリストファーストリート、かつては”ゲイストリート”と呼ばれていたこともあるという。「かつて」ということは今は呼ばれていないのかもしれないが、今でもその名の通りの場所なんじゃなかろうか。
posted by ななし at 18:00
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| NY旅行記 2006
独立記念日の朝のNY
▼今日の行程(集合前)
ホテル
↓ (歩)
[五番街]
↓ (歩)
コロンバスサークル(Columbus Circle)
↓ (歩)
セントラルパーク(Central Park)
↓ (歩)
ホテル
■ ホテル〜五番街
今日はアメリカ合衆国の独立記念日。そして、今回のツアーの最終日。さらに、個人的なことだが、ぼくの誕生日でもある。この誕生日の夜を、国を挙げた花火でお祝いしてもらおう、というのは今回のツアーの隠れた(個人的な)目的の1つだ。
と、そんなごく個人的な心積もりはさておいて、今日も集合まで、一緒に宿を取った方たちと過ごす約束になっている。
…が、一人の方は体調が芳しくないらしく、午前中はホテルで休んで、午後の集合から合流するとのこと。昨晩立てた予定では、アッパーウェストサイドのリバーサイド教会へ行ってみよう、ということになっていたのだが、その希望を出したのが彼だったので、とりあえずリバーサイド教会はやめておこう、ということにした。行程は、まだ明日も残っている。もし明日、彼の体調が回復すれば、その時に行けば良い。
そんなわけで目的もなくなってしまったので、もう一人の人と、セントラルパークへ向かって、五番街を歩く。まだブティックなんかは開店していない時間なので、人はまばらだ。独立記念日の朝だが、特に人々の様子に浮ついたところはない。日付が変わる瞬間に騒いだ後は、花火まで、しばらくおとなしくしているのかもしれない。
■ コロンバスサークル
朝ごはんに何を食べようか、と話しながら歩いているうちに、コロンバスサークルまでやってきてしまった。ここで、ぼくの携帯電話が鳴った。正確に言うと、ぼくが借りてきていた、海外用の携帯電話だ。
?!
この番号を知っている人の数は少ない。このツアーの参加者と、正之先生くらいだ。
「もしもし」
恐る恐る出ると、相手は正之先生。
「お昼のダイナーはね、カレーが美味しいよ」
今日の待ち合わせは、グランドセントラルの地下のダイナーでお昼を食べながら、ということになっていたので、そこのお勧めのお店を教えてくれたのだ。
電話を切った後、一緒にいた人にもカレーの話を伝えて、朝ごはんの前にお昼ごはんのメニューが決まってしまった。
■ セントラルパーク
「ぼくはアメリカのマクドナルドには行ったことがない」という話から、マックに行く案も出たが、結局は、セントラルパークでホットドッグを食べることにした。前のツアーでは2度くらい食べた覚えがあるが、今回のツアーではまだ食べていなかった。
今日は7月4日。数時間後には、コニーアイランドでホットドッグの早食い大会が催される、なんて話をしながら、ゆっくりと味わった。
ホットドッグを食べたあとは、セントラルパーク内をのんびりお散歩。
一緒にいた人が行ったことがない、というので、ダコタハウスへ行ってみた。
「えーっと、確かここです」
見た目は普通の建物だし、名前が書いてあるわけではないので(建物の入り口まで行けば書いてあるかもしれないが)、「ここです」と言い切るほどの自信が持てなかったのだが、近くで写真を撮っている人が何人かいたのを見て、「やっぱりここですね」と確信に至った。
そのままセントラルパーク内に戻って、ストロベリーフィールズを眺める。
その後も水の止まっている噴水を見たり、動物園の入り口の前を通ったりしながらパークを横断して、東側に抜けた。ただ散歩していただけだが、時間はほどほどに過ぎている。
あまり歩きすぎても疲れてしまうので、少し早めにホテルに戻ることにした。
と書いたものの、ホテルに戻る途中にもブラブラと寄り道。
プラザホテルの目の前のマッキントッシュのお店で、iPod をいじってみたり(当然だが、全く同じモデルで、面白みはなかった。言語の設定を日本語にしたら、そのまま使える)、ディズニーストアに入ってお土産を買ったり。
ホテルに戻ると、朝、体調を崩していたもう一人も、ほどほどに回復したらしい。午後からの行動には影響ない、と言っていたので、ひと安心する。
旅先で健康を害してしまっては、不安もさることながら、色んなものがもったいない。
ホテル
↓ (歩)
[五番街]
↓ (歩)
コロンバスサークル(Columbus Circle)
↓ (歩)
セントラルパーク(Central Park)
↓ (歩)
ホテル
■ ホテル〜五番街
今日はアメリカ合衆国の独立記念日。そして、今回のツアーの最終日。さらに、個人的なことだが、ぼくの誕生日でもある。この誕生日の夜を、国を挙げた花火でお祝いしてもらおう、というのは今回のツアーの隠れた(個人的な)目的の1つだ。
と、そんなごく個人的な心積もりはさておいて、今日も集合まで、一緒に宿を取った方たちと過ごす約束になっている。
…が、一人の方は体調が芳しくないらしく、午前中はホテルで休んで、午後の集合から合流するとのこと。昨晩立てた予定では、アッパーウェストサイドのリバーサイド教会へ行ってみよう、ということになっていたのだが、その希望を出したのが彼だったので、とりあえずリバーサイド教会はやめておこう、ということにした。行程は、まだ明日も残っている。もし明日、彼の体調が回復すれば、その時に行けば良い。
そんなわけで目的もなくなってしまったので、もう一人の人と、セントラルパークへ向かって、五番街を歩く。まだブティックなんかは開店していない時間なので、人はまばらだ。独立記念日の朝だが、特に人々の様子に浮ついたところはない。日付が変わる瞬間に騒いだ後は、花火まで、しばらくおとなしくしているのかもしれない。
■ コロンバスサークル
朝ごはんに何を食べようか、と話しながら歩いているうちに、コロンバスサークルまでやってきてしまった。ここで、ぼくの携帯電話が鳴った。正確に言うと、ぼくが借りてきていた、海外用の携帯電話だ。
?!
この番号を知っている人の数は少ない。このツアーの参加者と、正之先生くらいだ。
「もしもし」
恐る恐る出ると、相手は正之先生。
「お昼のダイナーはね、カレーが美味しいよ」
今日の待ち合わせは、グランドセントラルの地下のダイナーでお昼を食べながら、ということになっていたので、そこのお勧めのお店を教えてくれたのだ。
電話を切った後、一緒にいた人にもカレーの話を伝えて、朝ごはんの前にお昼ごはんのメニューが決まってしまった。
■ セントラルパーク
今日は7月4日。数時間後には、コニーアイランドでホットドッグの早食い大会が催される、なんて話をしながら、ゆっくりと味わった。
ホットドッグを食べたあとは、セントラルパーク内をのんびりお散歩。
一緒にいた人が行ったことがない、というので、ダコタハウスへ行ってみた。
「えーっと、確かここです」
見た目は普通の建物だし、名前が書いてあるわけではないので(建物の入り口まで行けば書いてあるかもしれないが)、「ここです」と言い切るほどの自信が持てなかったのだが、近くで写真を撮っている人が何人かいたのを見て、「やっぱりここですね」と確信に至った。
そのままセントラルパーク内に戻って、ストロベリーフィールズを眺める。
その後も水の止まっている噴水を見たり、動物園の入り口の前を通ったりしながらパークを横断して、東側に抜けた。ただ散歩していただけだが、時間はほどほどに過ぎている。
あまり歩きすぎても疲れてしまうので、少し早めにホテルに戻ることにした。
と書いたものの、ホテルに戻る途中にもブラブラと寄り道。
プラザホテルの目の前のマッキントッシュのお店で、iPod をいじってみたり(当然だが、全く同じモデルで、面白みはなかった。言語の設定を日本語にしたら、そのまま使える)、ディズニーストアに入ってお土産を買ったり。
ホテルに戻ると、朝、体調を崩していたもう一人も、ほどほどに回復したらしい。午後からの行動には影響ない、と言っていたので、ひと安心する。
旅先で健康を害してしまっては、不安もさることながら、色んなものがもったいない。
posted by ななし at 12:00
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| NY旅行記 2006
2006年07月03日(Mon)
月曜の夜のニューヨーク
▼今日の行程(夕食〜)
アスタープレイス(Astor Pl)
↓ (歩)
ヴェセルカ(VESELKA)
↓ (歩)
ペニーロ(Veniero's)
↓ (歩)
アスター
↓ (6)
[ユニオンスクエア]
↓ (R)
[タイムズスクエア]
↓ (2)
96 St
↓ (歩)
先生宅
↓ (歩)
96 St
↓ (2)
タイムズスクエア
↓ (歩)
ホテル
■ ヴェセルカ
今日のお夕飯は、イーストビレッジにあるウクライナ料理屋「ヴェセルカ」。以前、正之先生が連れて来た人にはあまり評判が良くなかったらしく、「改めてみんなの意見を聞いてみよう」みたいなノリで食事に臨んでいた。
そもそもウクライナ料理って何だろう?と思っていたのだが、最も有名なのがボルシチだと聞いて、ようやくぴんと来た。ぼくが頼んだプレート(セットメニュー)にも、ボルシチがついてきていた。
ウクライナビールを飲みつつ、ボルシチや、水餃子風の料理をいただく。なるほど、全体に薄味で、素朴な味わい。ぼくは美味しくいただけたけれど、イタリーや中華みたいな派手な味(という表現があるかは分からないが)を期待していると、少しそれから外れてしまうのかもしれない。「懐かしい味」という感想を、何人かの人が言っていたのを聞いて、妙に納得した。
■ ベニーロ
ヴェセルカで結構お腹一杯になるまで食べたのだが、次に向かったのはケーキ屋さん「ベニーロ」(正確には"Veniero's")。看板によると1894年からあるらしいので、100年ちょっとの老舗だ。「お腹一杯だよー」と言いつつも、ぼくも含めてみなさんしっかりと、「甘いものは別腹」を体現していた。確か、英語で言ったら「Cake hole」だから、まさにそのままの意味になる。
入り口寄りにはショーケースがあって、持ち帰りの人はそこで買うことができるようになっている。座ってコーヒーを飲んだりできる席は、そのショーケースの前を通った先の奥の方だ。奥に進みながらショーケースを眺めると、どれも美味しそうに見える。
席について、メニューを見ながら、みなさん、注文している。さっきショーケースを見たときに「これが美味しそう!」と思ったケーキは、その名前が分からずに断念。ミルフィーユを注文した。これが正解! 食べる前は、「今のお腹一杯具合からすると、ちょっと大きすぎる」なんて思っていたが、皆さんと交換しながら、全て食べてしまった。その美味しさ、恐るべしだ。
ちなみに、ぼくが「これ!」と思ったケーキは、チーズケーキだったようだ。他の参加者の方が注文していた中に、その姿があった。一口分けていただいたが、これも美味しかった。狙っていたものと、実際に頼んだもの、どちらも美味しく食べられて、ちょっと得した気分。
■ 先生宅
今日最後の目的地は、正之先生のオタク…もとい、お宅。オタクはぼくらだ。
実は今までのツアーでは、正之先生宅には最終日にお伺いしていたので、今回もそのつもりでいた。良く考えたら最終日は4日。花火を見た後では、時間的に遅くなってしまうから、今日なんだなあ。
駅で降りた後、正之先生が先に帰って冷房を効かせてくれている間に、近くのデリで飲み物等をお買い物。ぼくは缶コーヒー。まだまだビール!という人もいて、ムラサキイモのポテチなんかも一緒に買っていた。後で少しいただいたが、別段変わったところもなく、普通にムラサキイモの味のするポテチだった。
買い物を済ませて、先生のコンドミニアムへ向かうと、建物の前で先生が待っていた。後についてマンションの中に入る。2002年に訪れた時、大勢で黙って入って行ったら、「ガードマンが不思議そうな顔してたよ」みたいなことを言われたことを思い出して、「Good evening」と挨拶をしておいた。…いやいや、2002年の時も、ぼくは挨拶したと思ったが…まあ良いか。今年は、他の皆さんもそれぞれに挨拶をしていた。
部屋に入って、車座なる。先生は、「まだ冷房が効いてないからさ」と言って、直接冷房の上(窓際の床に設置してあって、上部から冷風が出る仕組み)に座って、風を浴びていた。「やってみなよ」と薦められて、ぼく含め、何人かの方が冷風を浴びて涼をとっていたが、冷風をシャツの中に受けると、漫画に出てくるマッチョマンみたいに見えて面白い。
その様子を写真に収めたような気がしていたのだが、ちょっと手元に見当たらない。あっても載せられるものかどうか、若干自信がないが。
その後、しばし雑談。
「もうライヴはなしね。ギターも持ってきてないし」
先生はそう言っていたが、どう見てもギターケースにしか見えないものが置いてある。
「持ってきてないけど、買ってきたんですねー」
と、嬉しそうにギターを見せてくれる先生。見せてもらってる人たち(もちろんぼくを含む)も嬉しそうだ。
今回NYに来てから購入したそうで、この文章を書いている時点ではすでにマサユキ前線2006が始まっているが、この前線で使われているギターが、このギターだ。
飛行機に乗る時に預けられて、もしNYから日本に帰る途中でダメになってしまっても、諦めがつくくらいの値段のギター、というのが選定の条件の1つだったそうだが、どうやら無事に日本についたようで、吉祥寺のライヴでも曲を奏でていた。
見せていただいた当時は、まだ買って数日の、正真正銘の新品ギター。少しだけ、その音を聞かせてもらった。
今回のNYツアーでは、色々なところで、先生がビデオを回しているのだが、当然、ギターを弾きながらビデオを回すことはできない。この時、先生に代わってビデオカメラを持っていたのは、ぼくだ。
「試し弾き」というには少し長い時間、演奏を聞いていたが、途中でビデオの画面が消えてしまった。
「あれ、消えちゃいましたよ?」
「えー? もしかして、撮れてないんじゃないの?」
なんてやりとりをしたのだが、うん、本当に撮れていない。どうやら、ビデオを構えてはいたものの、録画ボタンを押していなかったらしい。動作させないままずっと置いていたので、画面が消えたようだ。
そんなわけで、撮り直し。おかげでぼくらは、(恐らく)予定より長い時間、試し弾きを堪能することができた。録画されていないことに気付かなかったぼくが言ってしまってはいけないとは思うが、ちょっとラッキーだったかもしれない。
ただ、その後も、ギターを持って話していた先生は、何かの話があるたびに色々なフレーズを弾いてくれた。
「楽器を持ってると、ついつい、いつまででも弾いちゃうんだよね、好きだから」
と笑いながら言って、ギターをケースに収めていたが、なるほど「好きだから」か。その言葉には、何だか大きな説得力があった。
■ タイムズスクエア 〜 ホテル
テレビでやっていたメッツの試合を眺めたりしながら楽しくおしゃべりしていたら、結構良い時間になってきてしまった。明日の待ち合わせ時間を決めて、先生のお宅を後にする。
天気が良く、空には月がのぼっていた。4年前なら、「こんな時間に地下鉄乗るの、怖いなあ」と思うような時間だが、今年は誰もそんな心配していない。やっぱり、セキュリティが常駐してるってのは、かなり違うんだなあ、と思いつつ電車を待つ。
みなさん、ホテルの場所がバラバラなので、まっすぐ2番で帰る人、途中で7番に乗り換える人、といたが、ぼくらはタイムズスクエアで降りて、歩いて帰ることにした。
ここは何時になっても、本当に明るいし、人がいっぱいいる。
いや、いっぱいいる、というより、集まってきているような雰囲気さえある。グランドセントラルへ向かう道を歩いていたら、ラッシュなんじゃないかと思うくらいの人が、タイムズスクエアに向かって歩いていた。
そういえばあそこは、年が明ける瞬間にすごい数の人が集まっているのが映される場所だ。元旦の夕方くらいのニュースでは、確実にその映像を見ることができる。
お正月に集まるくらいだから、独立記念日になる瞬間を同じ場所で騒ごう、という人がいても、確かにおかしくないなあ。
「日本でも建国記念日にみんなで楽しく騒いだら良いのに」
「いやー、そうは行かないでしょう」
なんて話をしながら、いつもどおりデリを経由してホテルに帰った。
※ここらへん、写真がちっともありません。文章ばっかりって辛いですよね…。
アスタープレイス(Astor Pl)
↓ (歩)
ヴェセルカ(VESELKA)
↓ (歩)
ペニーロ(Veniero's)
↓ (歩)
アスター
↓ (6)
[ユニオンスクエア]
↓ (R)
[タイムズスクエア]
↓ (2)
96 St
↓ (歩)
先生宅
↓ (歩)
96 St
↓ (2)
タイムズスクエア
↓ (歩)
ホテル
■ ヴェセルカ

そもそもウクライナ料理って何だろう?と思っていたのだが、最も有名なのがボルシチだと聞いて、ようやくぴんと来た。ぼくが頼んだプレート(セットメニュー)にも、ボルシチがついてきていた。

■ ベニーロ
ヴェセルカで結構お腹一杯になるまで食べたのだが、次に向かったのはケーキ屋さん「ベニーロ」(正確には"Veniero's")。看板によると1894年からあるらしいので、100年ちょっとの老舗だ。「お腹一杯だよー」と言いつつも、ぼくも含めてみなさんしっかりと、「甘いものは別腹」を体現していた。確か、英語で言ったら「Cake hole」だから、まさにそのままの意味になる。

席について、メニューを見ながら、みなさん、注文している。さっきショーケースを見たときに「これが美味しそう!」と思ったケーキは、その名前が分からずに断念。ミルフィーユを注文した。これが正解! 食べる前は、「今のお腹一杯具合からすると、ちょっと大きすぎる」なんて思っていたが、皆さんと交換しながら、全て食べてしまった。その美味しさ、恐るべしだ。
ちなみに、ぼくが「これ!」と思ったケーキは、チーズケーキだったようだ。他の参加者の方が注文していた中に、その姿があった。一口分けていただいたが、これも美味しかった。狙っていたものと、実際に頼んだもの、どちらも美味しく食べられて、ちょっと得した気分。
■ 先生宅
今日最後の目的地は、正之先生のオタク…もとい、お宅。オタクはぼくらだ。
実は今までのツアーでは、正之先生宅には最終日にお伺いしていたので、今回もそのつもりでいた。良く考えたら最終日は4日。花火を見た後では、時間的に遅くなってしまうから、今日なんだなあ。
駅で降りた後、正之先生が先に帰って冷房を効かせてくれている間に、近くのデリで飲み物等をお買い物。ぼくは缶コーヒー。まだまだビール!という人もいて、ムラサキイモのポテチなんかも一緒に買っていた。後で少しいただいたが、別段変わったところもなく、普通にムラサキイモの味のするポテチだった。
買い物を済ませて、先生のコンドミニアムへ向かうと、建物の前で先生が待っていた。後についてマンションの中に入る。2002年に訪れた時、大勢で黙って入って行ったら、「ガードマンが不思議そうな顔してたよ」みたいなことを言われたことを思い出して、「Good evening」と挨拶をしておいた。…いやいや、2002年の時も、ぼくは挨拶したと思ったが…まあ良いか。今年は、他の皆さんもそれぞれに挨拶をしていた。
部屋に入って、車座なる。先生は、「まだ冷房が効いてないからさ」と言って、直接冷房の上(窓際の床に設置してあって、上部から冷風が出る仕組み)に座って、風を浴びていた。「やってみなよ」と薦められて、ぼく含め、何人かの方が冷風を浴びて涼をとっていたが、冷風をシャツの中に受けると、漫画に出てくるマッチョマンみたいに見えて面白い。
その様子を写真に収めたような気がしていたのだが、ちょっと手元に見当たらない。あっても載せられるものかどうか、若干自信がないが。
その後、しばし雑談。
「もうライヴはなしね。ギターも持ってきてないし」
先生はそう言っていたが、どう見てもギターケースにしか見えないものが置いてある。
「持ってきてないけど、買ってきたんですねー」
と、嬉しそうにギターを見せてくれる先生。見せてもらってる人たち(もちろんぼくを含む)も嬉しそうだ。
今回NYに来てから購入したそうで、この文章を書いている時点ではすでにマサユキ前線2006が始まっているが、この前線で使われているギターが、このギターだ。
飛行機に乗る時に預けられて、もしNYから日本に帰る途中でダメになってしまっても、諦めがつくくらいの値段のギター、というのが選定の条件の1つだったそうだが、どうやら無事に日本についたようで、吉祥寺のライヴでも曲を奏でていた。
見せていただいた当時は、まだ買って数日の、正真正銘の新品ギター。少しだけ、その音を聞かせてもらった。
今回のNYツアーでは、色々なところで、先生がビデオを回しているのだが、当然、ギターを弾きながらビデオを回すことはできない。この時、先生に代わってビデオカメラを持っていたのは、ぼくだ。
「試し弾き」というには少し長い時間、演奏を聞いていたが、途中でビデオの画面が消えてしまった。
「あれ、消えちゃいましたよ?」
「えー? もしかして、撮れてないんじゃないの?」
なんてやりとりをしたのだが、うん、本当に撮れていない。どうやら、ビデオを構えてはいたものの、録画ボタンを押していなかったらしい。動作させないままずっと置いていたので、画面が消えたようだ。
そんなわけで、撮り直し。おかげでぼくらは、(恐らく)予定より長い時間、試し弾きを堪能することができた。録画されていないことに気付かなかったぼくが言ってしまってはいけないとは思うが、ちょっとラッキーだったかもしれない。
ただ、その後も、ギターを持って話していた先生は、何かの話があるたびに色々なフレーズを弾いてくれた。
「楽器を持ってると、ついつい、いつまででも弾いちゃうんだよね、好きだから」
と笑いながら言って、ギターをケースに収めていたが、なるほど「好きだから」か。その言葉には、何だか大きな説得力があった。
■ タイムズスクエア 〜 ホテル
テレビでやっていたメッツの試合を眺めたりしながら楽しくおしゃべりしていたら、結構良い時間になってきてしまった。明日の待ち合わせ時間を決めて、先生のお宅を後にする。
天気が良く、空には月がのぼっていた。4年前なら、「こんな時間に地下鉄乗るの、怖いなあ」と思うような時間だが、今年は誰もそんな心配していない。やっぱり、セキュリティが常駐してるってのは、かなり違うんだなあ、と思いつつ電車を待つ。
みなさん、ホテルの場所がバラバラなので、まっすぐ2番で帰る人、途中で7番に乗り換える人、といたが、ぼくらはタイムズスクエアで降りて、歩いて帰ることにした。
ここは何時になっても、本当に明るいし、人がいっぱいいる。
いや、いっぱいいる、というより、集まってきているような雰囲気さえある。グランドセントラルへ向かう道を歩いていたら、ラッシュなんじゃないかと思うくらいの人が、タイムズスクエアに向かって歩いていた。
そういえばあそこは、年が明ける瞬間にすごい数の人が集まっているのが映される場所だ。元旦の夕方くらいのニュースでは、確実にその映像を見ることができる。
お正月に集まるくらいだから、独立記念日になる瞬間を同じ場所で騒ごう、という人がいても、確かにおかしくないなあ。
「日本でも建国記念日にみんなで楽しく騒いだら良いのに」
「いやー、そうは行かないでしょう」
なんて話をしながら、いつもどおりデリを経由してホテルに帰った。
※ここらへん、写真がちっともありません。文章ばっかりって辛いですよね…。
posted by ななし at 23:55
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| NY旅行記 2006
月曜の午後のニューヨーク
▼今日の行程(集合〜夕食)
タイムズスクエア
↓ (2)
ホイットストリート(Hoyt St)
↓ (3)
ウティカ(Crown Hts Utica Av)
↓ (4)
ネビンス(Nevins St)
↓ (歩)
Hoyt-Schermerhorn Sts
↓ (G)
ナッソー(Nassau Av)
↓ (歩)
グリーンポイント(Greenpoint Av)
↓ (G)
[Long Island City-Court Sq]
↓ (歩)
[45 Rd-Courthouse Sq]
↓ (7)
グランドセントラル
↓ (7)
タイムズスクエア
↓ (歩)
ドラマブックショップ
↓ (歩)
ポートオーソリティバスターミナル(Port Authority Bus Terminal)
↓ (歩)
タイムズスクエア
↓ (6)
アスタープレイス(Astor Pl)
■ ホイットストリート
集合して最初の目的地は、ホイットストリート。この駅を降りてすぐのところにある、正之先生お勧めのハンバーガー屋さんでお昼を食べるのだ。
フルトンモールの中ほどにあるこのお店には、2002年、2004年のツアーでも訪れている。当時、このお店に行く前には、「ブルックリンはまだまだ危険。表通りをみんなで歩くなら何の問題もないけど、カメラとかは出さないで」と言われていた。でも、駅を降りてハンバーガー屋さんが見えた途端に、同行していた人がデジカメを取り出して看板を撮影。他の人も同じようにパシャッ。先生も、別に止める様子はない。それどころか、先生もビデオカメラを取り出して、撮影していた。治安が良くなったとは聞いていたが、本当に、何の心配もなくカメラやなんかが出せるようになったみたいだ。
ただ、後程先生にうかがったところ、実は前にぼくが来た頃でも、このエリアはそこまで危険ではなかったらしい。先生は「俺も知らなかったんだけど」と言っていたが、恐らく、より安全に、という思いだったんだろう。
みんなで一列になってハンバーガーを食べた後、ぼくも他の方々に倣って、お店の看板を撮影しておいた。このお店は太った黒人(場所柄、お客は圧倒的に黒人が多い…というか白人を見た覚えがない)が座ると後ろのスタンド席を通り抜けるのも一苦労、というくらいの小さなお店なのだが、出てくるハンバーガーはとても美味しい。しっかりと肉の味がして、傾向としては、モスバーガーで売っている「匠」シリーズに近いと思う。もっとも、ぼくはアメリカでハンバーガーを食べたのはこのお店だけで、このお店のレベルが跳びぬけて美味しいのか、アメリカではハンバーガーの基準が高いのか、判断しかねるのだが。
■ ウティカ
ハンバーガーを食べたあと、そのまま乗ってきた地下鉄のホームに戻って、ウティカという黒人街へ。フルトンモールも黒人街だが、ウティカはさらに、田舎というか、住宅街に近いところだ。正之先生がどこでどうやってこの街のことを知ったのか分からないくらい、特に何があるわけでもない。でも、何となく雰囲気がある。この雰囲気は、今まで歩いたことのあるNYとはずいぶんと違っていて、面白い。
駅間の雑貨屋、スーパー、安い服を売っているお店。一応平日の月曜日だが、週末から独立記念日にかけて、連休を取っているところも多いようで、ところどころ、閉まっているお店もあったが、それでも人はそこそこ歩いていた。フルトンモール以上に黒人しかいない。
雑貨屋さんの前を通りかかったとき、正之先生がふと立ち止まって、店先のTシャツを見ていた。その時に話題になったTシャツが、見ていたときは「ちょっと面白いな」くらいだったのだが、帰国した後、猛烈に欲しくなってしまった。あとの祭り。値段は数ドルだったんで、あんまり考えずに、買っておけば良かった。…犬が交尾してるデザインのシャツだったんだけどね。
■ ネビンス〜ホイット
ウティカを歩いた後、再び地下鉄に乗って、ネビンズで降りた。次の目的地はナッソーだが、路線図を見る限り、ここらへんからGラインの駅に歩けるだろう、ということのようだ。
駅を降りたところで、"traffic"と書かれたジャケットを着た警官に、正之先生が道を尋ねていた。ぼくの位置からはその会話は聞こえなかったが、会話が終わった後、正之先生が日本語で再現してくれた。
「道を聞いても良いですか?」
「あー、良いよー。何でも聞きなー」
「ここらへんに、Gラインの駅はある?」
「…んー、知らないなー」
仕方がないので駅を探しながら歩いて、結局、フルトンモールを歩いて、さっきのハンバーガー屋さんのところまで戻ることになった。
ここを歩いている時に、とあることに気が付いた。フルトンモールもさっきのウティカも、ハーレムでもそうなのだが、黒人街にある洋服屋さんのマネキンは、黒いのだ。確かに日本だと肌色…まぁ真っ白のものもあったりするが、それはデザインだろう。始めは偶然かと思ったが、どこのお店を見ても黒いマネキンなので、やはり黒人街でのスタンダードは黒いマネキンなのだろう。何でもないことだが、ちょっと面白い。
ハンバーガー屋さんのある角を曲がって、さらにしばらく歩いたあたりで、Gラインの駅が見付かった。
■ ナッソー
Gラインに乗ってナッソーへ。ここからグリーンポイントまでの一駅分を歩いた。この地域はポーランドからの移民が多いエリアだそうで、正之先生曰く「もっとも綺麗な女子高生がいる街」だとか。
…と言っても、今は独立記念日に向けてのお休み。アメリカの夏休みの期間は知らないが、もしかしたら夏休みかもしれない。学校帰り、といった感じの学生は、見かけなかった。それでも、綺麗なブロンドをした高校生くらいの女の子を、何人か見かけた。さっきまでいたところとは打って変わって、白人の多い街だ。
「女子高生」「女子高生」と、ボヤッキーみたいなことを話しながら歩いていたら、正面に、シティコープのビルが見えた。ここからイーストリバーをはさんだ対岸が、ちょうどシティコープの位置ということになる。
■ グリーンポイント 〜 グランドセントラル
ナッソーの街を歩いた後は、またGラインに乗って、ロングアイランドシティコートで降りた。その地下鉄の出口からほんの少し歩いたところにある駅が、7ラインの、45ロードコートハウススクウェア。ここは地上駅なのだ。地上駅を持つ地下鉄なんて日本でも珍しくないが(ぼくの自宅からの最寄駅がまさにそれだ)、NYでは地上に鉄道が走っているところをあまり見たことがなかったので、少し新鮮だった。ちなみに次の駅から、さっそく地下に入る。
ここで乗った車両が、無冷房車。日本の電車に弱冷房車があるように、NYの地下鉄には冷房が入っていない車両があるらしい。そのことを、正之先生が、同じ車両に居合わせた巨漢の黒人に聞いていた。
「ぼくらは次の駅で隣の車両に移るよ。あなた、暑くないの?」みたいな問いかけをしたら、「うちにも冷房はないからね」みたいな答えが返ってきたらしい。まだまだ冷房のない家があるんだね…と言っていたら、ツアーの人の中にも、自宅に冷房がないという方がいらした。今のぼくの家の冷房稼働率を考えると、ぼくにはもはや、そういう暮らしはできない…。
グランドセントラルで一度降りて、休憩タイム。ここで、今日の夕食決定くじ引きが開催された。正之先生の挙げたお店を支持する参加者をあみだくじで決め、その後ジャンケンをして、勝った人が支持したお店が、今日の夕食の場所になる。
厳正なるジャンケン&あみだくじの結果、今晩は、タイムズスクエアにある「あぶないオヤジのイタ飯屋」で食べることになった。間違っても、あぶないイタ飯屋ではない。あぶないオヤジのいる(正確には、いた)イタ飯屋だ。他候補には、今日の午前中の旅行記で少し話題にしたMimi's や、ウクライナ料理屋、クソジャンク中華や何かが挙がっていた。
■ ドラマブックショップ
タイムズスクエアで地下鉄を降りて、向かった先はドラマブックショップ。ぼくが午前中に、下調べをしてきたところだ。
ここに向かう途中、どういうわけか、ポルノショップの話になった。
「そういうお店には興味ないの?」
「いやいや、興味ないことはないですけど、怖いじゃないですか」
「あー、大丈夫。ちっとも怖くないよー」
なんて会話をしていたら、後ろの方を歩いていた人たちから呼び止められた。どうやら、目的地を越えて歩いてしまったようだ。話していた話題が話題だけに、ちょっと恥ずかしい。
ドラマブックショップの前で、正之先生に確認すると、探していたのはまさにこのお店だ、とのことで、一安心。間違ったお店を紹介してしまっては、申し訳ない。午前中の記事でも書いたが、ここは、演劇や映画の脚本や、お芝居関係の本を扱っている専門店だ。
正之先生が探し物をしている間に、ぼくも、能の本や、歌舞伎の本、それにジャッキー・チェンの本を開いてみたりした。あまり大きなお店ではないが、そこにあるのが全て演劇関係ということを考えると、なかなか大規模かもしれない。色々な演劇の台本が、作家順に並んでいたりもした。
■ ポートオーソリティ 〜 アスタープレイス
ドラマブックショップを見た後は、近くの、ポートオーソリティバスターミナルへ。途中、警官が(恐らく)窃盗犯を逮捕しているところに遭遇した。組み伏せてはいなかったが、壁に手を突かせ、身体検査をしていたようだ。「地球の歩き方」によると、暗くなると治安が悪くなるようなことが書かれていたが、置き引きなんかが増えるのかもしれない。
先ほどのあみだくじで、今日の夕食はタイムズスクエアにある、「あぶないオヤジのイタ飯屋」と決定していたが、夕食にはまだ時間がある、歩き続けるには外は暑い、ということから、ウクライナ料理屋さんに変更することになった。
場所はイーストビレッジ。アスタープレイス駅で降りてお店に向かう途中に、ちょっとした日本人街を通った。日本人か日系人か分からないが、違和感のない顔をしたアジア人がたくさんいた。たまに日本語も聞こえる。日本食のお店も何店かあって、いわゆる日本の居酒屋っぽいお店では、白人も器用に箸を使って食事をしていた。日本人街と関係あるのかないのか分からないが、コミックショップもあった。
それと、パンクな雰囲気の洋服屋さん…か、カフェか、ちょっと分かりかねるが、ハードコアでパンクな人たちが集まりそうなお店も、ちらほらと見えた。後から調べたところ、実際、ライヴハウスもいくつかあるらしい。
長くなったので、夕食からは別の記事で。
タイムズスクエア
↓ (2)
ホイットストリート(Hoyt St)
↓ (3)
ウティカ(Crown Hts Utica Av)
↓ (4)
ネビンス(Nevins St)
↓ (歩)
Hoyt-Schermerhorn Sts
↓ (G)
ナッソー(Nassau Av)
↓ (歩)
グリーンポイント(Greenpoint Av)
↓ (G)
[Long Island City-Court Sq]
↓ (歩)
[45 Rd-Courthouse Sq]
↓ (7)
グランドセントラル
↓ (7)
タイムズスクエア
↓ (歩)
ドラマブックショップ
↓ (歩)
ポートオーソリティバスターミナル(Port Authority Bus Terminal)
↓ (歩)
タイムズスクエア
↓ (6)
アスタープレイス(Astor Pl)
■ ホイットストリート

フルトンモールの中ほどにあるこのお店には、2002年、2004年のツアーでも訪れている。当時、このお店に行く前には、「ブルックリンはまだまだ危険。表通りをみんなで歩くなら何の問題もないけど、カメラとかは出さないで」と言われていた。でも、駅を降りてハンバーガー屋さんが見えた途端に、同行していた人がデジカメを取り出して看板を撮影。他の人も同じようにパシャッ。先生も、別に止める様子はない。それどころか、先生もビデオカメラを取り出して、撮影していた。治安が良くなったとは聞いていたが、本当に、何の心配もなくカメラやなんかが出せるようになったみたいだ。
ただ、後程先生にうかがったところ、実は前にぼくが来た頃でも、このエリアはそこまで危険ではなかったらしい。先生は「俺も知らなかったんだけど」と言っていたが、恐らく、より安全に、という思いだったんだろう。

■ ウティカ
ハンバーガーを食べたあと、そのまま乗ってきた地下鉄のホームに戻って、ウティカという黒人街へ。フルトンモールも黒人街だが、ウティカはさらに、田舎というか、住宅街に近いところだ。正之先生がどこでどうやってこの街のことを知ったのか分からないくらい、特に何があるわけでもない。でも、何となく雰囲気がある。この雰囲気は、今まで歩いたことのあるNYとはずいぶんと違っていて、面白い。
駅間の雑貨屋、スーパー、安い服を売っているお店。一応平日の月曜日だが、週末から独立記念日にかけて、連休を取っているところも多いようで、ところどころ、閉まっているお店もあったが、それでも人はそこそこ歩いていた。フルトンモール以上に黒人しかいない。
雑貨屋さんの前を通りかかったとき、正之先生がふと立ち止まって、店先のTシャツを見ていた。その時に話題になったTシャツが、見ていたときは「ちょっと面白いな」くらいだったのだが、帰国した後、猛烈に欲しくなってしまった。あとの祭り。値段は数ドルだったんで、あんまり考えずに、買っておけば良かった。…犬が交尾してるデザインのシャツだったんだけどね。
■ ネビンス〜ホイット
ウティカを歩いた後、再び地下鉄に乗って、ネビンズで降りた。次の目的地はナッソーだが、路線図を見る限り、ここらへんからGラインの駅に歩けるだろう、ということのようだ。
駅を降りたところで、"traffic"と書かれたジャケットを着た警官に、正之先生が道を尋ねていた。ぼくの位置からはその会話は聞こえなかったが、会話が終わった後、正之先生が日本語で再現してくれた。
「道を聞いても良いですか?」
「あー、良いよー。何でも聞きなー」
「ここらへんに、Gラインの駅はある?」
「…んー、知らないなー」
仕方がないので駅を探しながら歩いて、結局、フルトンモールを歩いて、さっきのハンバーガー屋さんのところまで戻ることになった。
ここを歩いている時に、とあることに気が付いた。フルトンモールもさっきのウティカも、ハーレムでもそうなのだが、黒人街にある洋服屋さんのマネキンは、黒いのだ。確かに日本だと肌色…まぁ真っ白のものもあったりするが、それはデザインだろう。始めは偶然かと思ったが、どこのお店を見ても黒いマネキンなので、やはり黒人街でのスタンダードは黒いマネキンなのだろう。何でもないことだが、ちょっと面白い。
ハンバーガー屋さんのある角を曲がって、さらにしばらく歩いたあたりで、Gラインの駅が見付かった。
■ ナッソー
Gラインに乗ってナッソーへ。ここからグリーンポイントまでの一駅分を歩いた。この地域はポーランドからの移民が多いエリアだそうで、正之先生曰く「もっとも綺麗な女子高生がいる街」だとか。
…と言っても、今は独立記念日に向けてのお休み。アメリカの夏休みの期間は知らないが、もしかしたら夏休みかもしれない。学校帰り、といった感じの学生は、見かけなかった。それでも、綺麗なブロンドをした高校生くらいの女の子を、何人か見かけた。さっきまでいたところとは打って変わって、白人の多い街だ。
「女子高生」「女子高生」と、ボヤッキーみたいなことを話しながら歩いていたら、正面に、シティコープのビルが見えた。ここからイーストリバーをはさんだ対岸が、ちょうどシティコープの位置ということになる。
■ グリーンポイント 〜 グランドセントラル

ここで乗った車両が、無冷房車。日本の電車に弱冷房車があるように、NYの地下鉄には冷房が入っていない車両があるらしい。そのことを、正之先生が、同じ車両に居合わせた巨漢の黒人に聞いていた。
「ぼくらは次の駅で隣の車両に移るよ。あなた、暑くないの?」みたいな問いかけをしたら、「うちにも冷房はないからね」みたいな答えが返ってきたらしい。まだまだ冷房のない家があるんだね…と言っていたら、ツアーの人の中にも、自宅に冷房がないという方がいらした。今のぼくの家の冷房稼働率を考えると、ぼくにはもはや、そういう暮らしはできない…。
グランドセントラルで一度降りて、休憩タイム。ここで、今日の夕食決定くじ引きが開催された。正之先生の挙げたお店を支持する参加者をあみだくじで決め、その後ジャンケンをして、勝った人が支持したお店が、今日の夕食の場所になる。
厳正なるジャンケン&あみだくじの結果、今晩は、タイムズスクエアにある「あぶないオヤジのイタ飯屋」で食べることになった。間違っても、あぶないイタ飯屋ではない。あぶないオヤジのいる(正確には、いた)イタ飯屋だ。他候補には、今日の午前中の旅行記で少し話題にしたMimi's や、ウクライナ料理屋、クソジャンク中華や何かが挙がっていた。
■ ドラマブックショップ
タイムズスクエアで地下鉄を降りて、向かった先はドラマブックショップ。ぼくが午前中に、下調べをしてきたところだ。
ここに向かう途中、どういうわけか、ポルノショップの話になった。
「そういうお店には興味ないの?」
「いやいや、興味ないことはないですけど、怖いじゃないですか」
「あー、大丈夫。ちっとも怖くないよー」
なんて会話をしていたら、後ろの方を歩いていた人たちから呼び止められた。どうやら、目的地を越えて歩いてしまったようだ。話していた話題が話題だけに、ちょっと恥ずかしい。
ドラマブックショップの前で、正之先生に確認すると、探していたのはまさにこのお店だ、とのことで、一安心。間違ったお店を紹介してしまっては、申し訳ない。午前中の記事でも書いたが、ここは、演劇や映画の脚本や、お芝居関係の本を扱っている専門店だ。
正之先生が探し物をしている間に、ぼくも、能の本や、歌舞伎の本、それにジャッキー・チェンの本を開いてみたりした。あまり大きなお店ではないが、そこにあるのが全て演劇関係ということを考えると、なかなか大規模かもしれない。色々な演劇の台本が、作家順に並んでいたりもした。
■ ポートオーソリティ 〜 アスタープレイス
ドラマブックショップを見た後は、近くの、ポートオーソリティバスターミナルへ。途中、警官が(恐らく)窃盗犯を逮捕しているところに遭遇した。組み伏せてはいなかったが、壁に手を突かせ、身体検査をしていたようだ。「地球の歩き方」によると、暗くなると治安が悪くなるようなことが書かれていたが、置き引きなんかが増えるのかもしれない。
先ほどのあみだくじで、今日の夕食はタイムズスクエアにある、「あぶないオヤジのイタ飯屋」と決定していたが、夕食にはまだ時間がある、歩き続けるには外は暑い、ということから、ウクライナ料理屋さんに変更することになった。
場所はイーストビレッジ。アスタープレイス駅で降りてお店に向かう途中に、ちょっとした日本人街を通った。日本人か日系人か分からないが、違和感のない顔をしたアジア人がたくさんいた。たまに日本語も聞こえる。日本食のお店も何店かあって、いわゆる日本の居酒屋っぽいお店では、白人も器用に箸を使って食事をしていた。日本人街と関係あるのかないのか分からないが、コミックショップもあった。
それと、パンクな雰囲気の洋服屋さん…か、カフェか、ちょっと分かりかねるが、ハードコアでパンクな人たちが集まりそうなお店も、ちらほらと見えた。後から調べたところ、実際、ライヴハウスもいくつかあるらしい。
長くなったので、夕食からは別の記事で。
posted by ななし at 19:00
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| NY旅行記 2006
月曜の朝のニューヨーク
▼今日の行程(集合前)
ホテル
↓ (歩)
国際連合本部ビル(United Nations Headquarters)
↓ (歩)
シティコープセンター(Citicorp Center)
↓ (歩)
セントパトリック教会(St. Patrick)
↓ (歩)
ブライアントパーク
↓ (歩)
ドラマブックショップ(Drama Book Shop)
↓ (歩)
タイムズスクエア
■ 国連本部ビル
今日の集合は12時。それまでは個人行動なので、一緒に宿をとった3人で行動した。といっても、そもそもどのくらい時間が空くのか分かっていなかったので、あまり計画を立てておらず、その場その場で目的地を決めたりしたのだが。
まずは、今日もグランドセントラルの地下のフードコートで朝食を摂った。昨日の反省を生かして、やや少な目のパニーニにした。昨日と違って、駅構内にも活気がある。やはり昨日は日曜だったから、人が少なかったんだ。
朝食を済ませ、最初に向かったのは国連ビル。NYに来るのは3度目なのに、初めて来た。まだ始業前のようで、門の前には観光客が列を作っているし、別の門からは職員らしき人が次々と入って行っている。国連職員っていうと、何だかすごそうに聞こえるけれど、やっぱりエリートだったりするんだろうか。
写真は、国連本部の敷地内にあった像。邪悪なものを退治しているイメージなんだろうが、持っている武器に十字架をイメージさせる飾りがあるのは、何とも言えないところだ。
ひん曲がった銃は好ましいのだけど。
こちらは同じく国連本部にあった、像。勘の良い方は分かったかもしれない。「象の像」ということが言いたいがためだけに撮ったのだ。何で国連本部にこんな像があるのかは、知らない。
■ シティコープ〜セントパトリック
そのまま徒歩で、シティコープへ…行く途中、パスタプレストと、ミミーズの写真を撮った。パスタプレストは昨日行ったパスタ屋さん。ミミーズは、今回のツアーでは行かなかったが、ツアーでよく行く…何屋さんだろう? こっちもイタ飯屋か。朝の9時くらいなので、もちろんどちらも開いていない。
シティコープは、日本でも有名なシティバンクを持つグループ。そのビルの中に教会があるんだそうだ。元々教会が持っていた土地に、シティコープがビルを建てる際、ビルの中に教会を残すことを条件に、土地を提供されたんだんだとか。通りから教会が見えたが、特にこれと言った思いはなかった。
さらに続けて教会巡り。お馴染みの、セントパトリックだ。これだけ近距離に教会があるあたり、いかにアメリカがキリスト教の国であるかがよく分かる。シティコープからセントパトリックに行く途中にも、いくつか教会が見えるんだから。
「お馴染み」と書いたわりに、一緒に行動していた人は、中に入ったことがなかったそうだ。確かに2004年のNYツアーでは中に入らず、外から見ただけだったような気もする。ぼくは自由行動のときに観に行った気がする。その時一緒に行ったまさみさんが、この教会を好きだったのだ。
せっかくなので今回も中に入る。以前は真ん中の大きな扉から出入りできたと思ったのだが、左右の小さな扉からしか入れないようになっていた。セキュリティ上の対策なんだろうか。セントパトリックの中は、前に来た時同様、厳かな雰囲気が漂っている。ステンドグラスやなんかを見ながら、ぐるりと一周した。
セントパトリックを出たところで、ぼくは単独行動。メールチェックと、ちょっとした調べ物をするために、ブライアントパークへ行くことになっている。他の二人は、昨日に続いてロックフェラーに登って、今度は昼のマンハッタンを見下ろすらしい。きっと圧巻だろう。
■ ブライアントパーク〜ドラマブックショップ
ブライアントパークにはぼくのほかにもノートパソコンを広げている人が何人かいた。日の光が画面に当たると見づらいので、木陰のベンチを選んで座る。マシンを起動してメールチェック。どうやら会社からのメールは来ていないようだ。代わりに、昨日お逢いしたツアー参加者の方から連絡が来ていた。素早い。さすが、ネットが使えることを条件にホテルを選んだだけのことはある。とりあえずご挨拶を返しておいた。
そして、調べ物。昨日、地下鉄の中で正之先生と話しているときに、ノートパソコンを持ってきている、という話になった。
「じゃあインターネット使えるの?」
「はい、使えますよ」
「じゃあ、"ドラマブックストア"っていう本屋さんがどこにあるか、調べてくれないかな」
「drama…book…store…(メモっている)ですね」
「そうそう、前はブロードウェイにあったんだけど、移転しちゃったんだよ」
と、大体こんなやりとりだった。「そんなに急がない」とは言われていたが、正之先生もぼくも、あと数日しかNYにいないのだ。
…んー、ないなあ…。
それらしいお店が、なかなか見付からない。最終的に見つけたのは、「Drama book shop」というお店(http://www.dramabookshop.com/NASApp/store/IndexJsp)。最近移転したらしいことが書いてあったし、もちろん場所もニューヨーク。映画や演劇に関連する本の専門店ということなので、正之先生が行こうとするのもよく分かる。一応このお店の住所を、メモしておこう。
時計を見ると、待ち合わせまではまだ時間がある。待ち合わせは、タイムズスクエアの駅。今調べたドラマブックショップは、40th Streetの、7th Avenueと8th Avenueの間にあるらしい。そこなら、タイムズスクエアからもそう遠くない。
よし、一応確認に行ってくるか。
ブライアントパークは40th Streetに面している。南西の端から、まっすぐ8th Avenueを目指して歩けば、2ブロックも歩かずに着けるはずだ。そう思って歩いていくと、それはあっさりと見つかった。思ったより大きくない。なるほど、ポートオーソリティバスターミナルの近くなんだ。後はここで合っているのかどうか、正之先生と逢った時に確認しよう。
今思えば写真でも撮っておけば良かったのだが、ポートオーソリティ近辺は、そんなに治安が良くないと聞いていたので(実際に後日、ポートオーソリティの前で、逮捕の瞬間を目撃した)、地図もカメラも出さず、少し前に立ち止まっただけで通り過ぎてしまった。
ドラマブックショップの存在を確認した後、まだもう少し時間があったので、そこからタイムズスクエアに向かう途中にあったメッセージカード屋さんに寄ってみた。メッセージカード屋というのはぼくが勝手につけた分類だが、店内にはメッセージカードやレターセットばかりが並んでいる。これが単品で商店になるのだから、NYの人は、日本人が想像する以上にメッセージカードをやり取りするんだろう。
良いのがあったら買おうと思ったのだが、めぼしいものが見付からず、そもそもそれを送る相手も思いつかないことに気付いたので、少し早いが待ち合わせ場所に向かうことにした。
※今、この旅行記を書くために「地球の歩き方」にある地図を見ていたら、ドラマブックショップは、きちんと載っていた。まぁ今さら気付いたところで、どうなるものでもないのだが。
ホテル
↓ (歩)
国際連合本部ビル(United Nations Headquarters)
↓ (歩)
シティコープセンター(Citicorp Center)
↓ (歩)
セントパトリック教会(St. Patrick)
↓ (歩)
ブライアントパーク
↓ (歩)
ドラマブックショップ(Drama Book Shop)
↓ (歩)
タイムズスクエア
■ 国連本部ビル

まずは、今日もグランドセントラルの地下のフードコートで朝食を摂った。昨日の反省を生かして、やや少な目のパニーニにした。昨日と違って、駅構内にも活気がある。やはり昨日は日曜だったから、人が少なかったんだ。




■ シティコープ〜セントパトリック

シティコープは、日本でも有名なシティバンクを持つグループ。そのビルの中に教会があるんだそうだ。元々教会が持っていた土地に、シティコープがビルを建てる際、ビルの中に教会を残すことを条件に、土地を提供されたんだんだとか。通りから教会が見えたが、特にこれと言った思いはなかった。

「お馴染み」と書いたわりに、一緒に行動していた人は、中に入ったことがなかったそうだ。確かに2004年のNYツアーでは中に入らず、外から見ただけだったような気もする。ぼくは自由行動のときに観に行った気がする。その時一緒に行ったまさみさんが、この教会を好きだったのだ。

セントパトリックを出たところで、ぼくは単独行動。メールチェックと、ちょっとした調べ物をするために、ブライアントパークへ行くことになっている。他の二人は、昨日に続いてロックフェラーに登って、今度は昼のマンハッタンを見下ろすらしい。きっと圧巻だろう。
■ ブライアントパーク〜ドラマブックショップ
ブライアントパークにはぼくのほかにもノートパソコンを広げている人が何人かいた。日の光が画面に当たると見づらいので、木陰のベンチを選んで座る。マシンを起動してメールチェック。どうやら会社からのメールは来ていないようだ。代わりに、昨日お逢いしたツアー参加者の方から連絡が来ていた。素早い。さすが、ネットが使えることを条件にホテルを選んだだけのことはある。とりあえずご挨拶を返しておいた。
そして、調べ物。昨日、地下鉄の中で正之先生と話しているときに、ノートパソコンを持ってきている、という話になった。
「じゃあインターネット使えるの?」
「はい、使えますよ」
「じゃあ、"ドラマブックストア"っていう本屋さんがどこにあるか、調べてくれないかな」
「drama…book…store…(メモっている)ですね」
「そうそう、前はブロードウェイにあったんだけど、移転しちゃったんだよ」
と、大体こんなやりとりだった。「そんなに急がない」とは言われていたが、正之先生もぼくも、あと数日しかNYにいないのだ。
…んー、ないなあ…。
それらしいお店が、なかなか見付からない。最終的に見つけたのは、「Drama book shop」というお店(http://www.dramabookshop.com/NASApp/store/IndexJsp)。最近移転したらしいことが書いてあったし、もちろん場所もニューヨーク。映画や演劇に関連する本の専門店ということなので、正之先生が行こうとするのもよく分かる。一応このお店の住所を、メモしておこう。
時計を見ると、待ち合わせまではまだ時間がある。待ち合わせは、タイムズスクエアの駅。今調べたドラマブックショップは、40th Streetの、7th Avenueと8th Avenueの間にあるらしい。そこなら、タイムズスクエアからもそう遠くない。
よし、一応確認に行ってくるか。
ブライアントパークは40th Streetに面している。南西の端から、まっすぐ8th Avenueを目指して歩けば、2ブロックも歩かずに着けるはずだ。そう思って歩いていくと、それはあっさりと見つかった。思ったより大きくない。なるほど、ポートオーソリティバスターミナルの近くなんだ。後はここで合っているのかどうか、正之先生と逢った時に確認しよう。
今思えば写真でも撮っておけば良かったのだが、ポートオーソリティ近辺は、そんなに治安が良くないと聞いていたので(実際に後日、ポートオーソリティの前で、逮捕の瞬間を目撃した)、地図もカメラも出さず、少し前に立ち止まっただけで通り過ぎてしまった。
ドラマブックショップの存在を確認した後、まだもう少し時間があったので、そこからタイムズスクエアに向かう途中にあったメッセージカード屋さんに寄ってみた。メッセージカード屋というのはぼくが勝手につけた分類だが、店内にはメッセージカードやレターセットばかりが並んでいる。これが単品で商店になるのだから、NYの人は、日本人が想像する以上にメッセージカードをやり取りするんだろう。
良いのがあったら買おうと思ったのだが、めぼしいものが見付からず、そもそもそれを送る相手も思いつかないことに気付いたので、少し早いが待ち合わせ場所に向かうことにした。
※今、この旅行記を書くために「地球の歩き方」にある地図を見ていたら、ドラマブックショップは、きちんと載っていた。まぁ今さら気付いたところで、どうなるものでもないのだが。
posted by ななし at 12:00
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| NY旅行記 2006
2006年07月02日(Sun)
日曜の夕方のニューヨーク
▼今日の行程(集合後)
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (4)
[ ユニオンスクエア ]
↓ (歩)
ストランドブックストア(Strand Book Store)
↓ (歩)
ディーン&デルーカ(DEAN & DELUCA)
↓ (歩)
リトルイタリーの手前くらい
↓ (歩)
[ スプリングストリート(Spring St) ]
↓ (6)
[ 51 St ]
↓ (歩)
[ ラディソン・レキシントン(Radison Lexington) ]
↓ (歩)
パスタプレスト(Pasta Presto)
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ホテル
■ グランドセントラル
待ち合わせの4時の15分くらい前に、同室の人と一緒にホテルを出て、4時10分前くらいに待ち合わせ場所の時計の前に着いた。今回のツアーの集合場所はここ、グランドセントラルの時計前。現地集合現地解散のツアーだ。
すでに来ている人がいないか時計の周りを見回していると、同室の人が声をかけられた。ツアー参加者の方に間違いないだろう。同室の方は以前からのお知り合いのようだ。ぼくは初めてお逢いする方々なので、「初めまして」と挨拶をする。
4時少し前。2004年のツアーでご一緒した方やなんかも集まってきた。
そして4時を少しまわった頃。
「怪しい東洋人たちですねー」
ぼくの後ろから、いきなり声がした。振り返ると、家庭用ビデオカメラを構えた正之先生だ。ちょっとびっくりした。
一通りみなさんを撮影した後、挨拶をして、
「Welcome to New York!」
の言葉をいただいた。さぁようやっと、ツアーのスタートだ。
ここで改めて、ツアー参加者の方々を紹介していただいた。初めてお逢いする方は3名。初めて、とは言っても、何度もライヴ会場で同じ時を過ごしているはずではあるのだが。
■ ユニオンスクエア
正之先生が、6時にレストランを予約してくれているそうなので、それまでの間、NYの街を歩くことに。
まずは4番でユニオンスクエアに出た。
「パラゴンはどっちだっけ?」
という正之先生の問いに、何人かの方がいっせいに同じ方向を指差して、ちょっと笑ってしまった。パラゴンとは、正確にはパラゴンスポーツ(Paragon Sports)という名前の、大きなスポーツ用品店。綴りを調べていたら、サイトも見付かった( http://www.paragonsports.com/Paragon/Shop )。
ぼくも(ちょっと遅れて)指差したうちの一人だが、どうしてみなさん、パラゴンの場所を知ってるんだろう? 歌に出てくるわけでもないのに。ちなみにぼくは、2004年のツアーで、メジャーリーグのチームのキャップが欲しい、という話をしたら、正之先生が教えてくれたから知っていたのだ。あの時パラゴンに行ったのが、ぼくが初めて一人でNYを歩いた時だった。かなり緊張して地下鉄に乗ったのを覚えている。
■ ストランドブックストア
話には出たが、結局パラゴンには行かず、ユニオンスクエアから南に下って、ストランドブックストアに立ち寄った。ここは古本屋さん。写真の、特に2階の窓あたりを見てもらうとわかるが、本がびっしり詰まっている。
入り口で大きな鞄は預けて、手ぶらで中を見ることができる。以前からなのか最近流行っているシステムなのか知らないが、NYではこういう形式のお店が少なくなかった。そういえば日本でも、まんだらけはそういうシステムだったなあ。日本では万引きの防止だけだろうが、NYではそれ以上のセキュリティ上の理由もあるかもしれない。
写真や絵の多い本をぱらぱらとめくってみたが、持って歩くには大きかったので、何も買わなかった。NYの写真集は、ちょっと欲しかったが、大きくて、やや高かった。…といっても、もう何ドルだったか忘れてしまったがが、10ドル以上したと思う。
グッズの展開もしているようで、お店のロゴの入ったTシャツや、トートバック、キャップなんかも置いてあった。これ、売れてるのかなあ?
■ ディーン&デルーカ
ストランドブックストアから南へ、SOHOまで歩いた。着いたのはディーン&デルーカ。ちょっと高級な食料品スーパーだ。2002年の旅行記で「日本にも出店する予定」と書いたが、実際に、丸の内の皇居に近いあたりに出店されている。品川駅でも見かけたが、そこは食材等は売っていない、ディーン&デルーカカフェだ。
ディーン&デルーカの品揃えは、見ているだけでも面白い。ジャムなんて、日本にはまずないような種類のものがたくさんある。ディーン&デルーカに限らないだろうが、肉も、とうてい日本ではあり得ない大きさだ。魚も日本で見ないものが結構見られる。ただ、魚に限って言うと、あまり美味しそうに見えないのは、やっぱり日本の魚に慣れているせいだろうか。
店内を覗いた後は、そのままブロードウェイを南に下って、リトルイタリーの手前くらいをぶらぶら。ここらへんは、2002年か2004年の時にも歩いた道だ。ツアーに参加された方の撮った写真に、プリンスストリートとマルベリーストリートの交差点が写っているものがあったので、そこら辺だ。…と、その通りの名前を見て、「あー、あそこか!」なんて思ったわけではなく、後から地図を見て答え合わせをしたのだが。可能なら、歩いた道を地図に記しておければ、後日楽しめたかもしれない。
■ パスタプレスト
スプリングstから6番に乗って、グランドセントラルを通過して、51stで降りる。少し遠回りして、ラディソンレキシントンの前を歩いた。ここは、2004年のツアーで泊まったホテルだ。目の前にデリがあるのは便利だった。
そしてツアーの初日の夕飯といえば、ここ、パスタプレスト。正之先生行きつけのイタリア料理屋だ。2002年も2004年もここで夕食を摂っている。なお、お店の外観の写真を撮ったのはこの翌日の午前中なのでまだ開いていない。
今回ぼくが頼んだのは、ラビオリ。マッシュルームと、上には小さく刻んだベーコンが振りかけられている。ニューヨークのマッシュルームは、日本のものと少し違っていて、美味しい。日本のものも好きだが、ニューヨークに来ると、積極的にマッシュルームを食べようという気になる。
他の人が頼んだパスタを分けていただいたり、ぼくのラビオリを分けたりして、お腹いっぱい(ホントにいっぱい)。色んな味を楽しんでみたい者として、一緒に食べに行った人と、少しずつ交換できる雰囲気はありがたい。こういうことを好まない人の気持ちも分からないではないが、ぼくは色んな味を楽しめる方が良い。
■ グランドセントラル〜ホテルのバー
夕飯の後、グランドセントラルまで歩く途中で、雨がぱらついてきた。傘を持っていなかったので、人の傘に入れてもらった。
「雨か」
とつぶやいたら、ぼくより早くからNYに来ている人たちが、口をそろえて、
「今日はまだマシ。一昨日なんてもっとひどい雨だった」
と言っていた。ぼくらが来る少し前まで、連日、夕立が降っていたらしい。
この日の雨は、いわば天気雨で、通りの向こうに赤々と照りながら沈む夕日が見えた。時刻は9時前頃なのだから、やっぱり不思議だ。
グランドセントラルでは、駅の中を少しぶらぶら。メトロノースのホームに下りてみたりした後、4時に集合した場所で写真を撮った。日程の関係で、お一人の方はぼくらと重なるのは今日だけなのだ。
写真を撮った後は、再び傘をさして、ぼくらの泊まるルーズベルトホテルへ。ちなみにまだ解散していない。ホテルのバーで一杯飲もう、ということだ。
ぼくは今度はバドワイザーを。他の方もお酒を頼んだりお茶を頼んだり。そして正之先生が頼もうとしたのは、水割り。さて、ここで問題。水割りは英語で、なんと言うんでしょう?
「確か、"Whiskey and water"っていうと、別々に来ちゃうんだよ」
「じゃあ、"Whiskey with water"ですか?」
「それも別々に来ちゃいそうだなあ」
結局、別々じゃなくて、1つのコップに入れてきてねー、ということを説明しながら注文して、無事、スコッチの水割りが届けられた。届けられた後、正之先生は、ボーイに「これはなんて言ったら良いの?」というようなことを訪ねていたが、残念ながら、ぼくがその答えを覚えていない…。その場では、「へぇ、そういうんだ!」って思ったんだけどなあ…。
バーでは、何故だかプロレスの話で盛り上がった。ちっともニューヨークっぽくない!とも思ったが、いやいや、プロレスの本場といえばアメリカだったか。
…いやあ、国際プロレスの話とかしてたからなあ…。
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (4)
[ ユニオンスクエア ]
↓ (歩)
ストランドブックストア(Strand Book Store)
↓ (歩)
ディーン&デルーカ(DEAN & DELUCA)
↓ (歩)
リトルイタリーの手前くらい
↓ (歩)
[ スプリングストリート(Spring St) ]
↓ (6)
[ 51 St ]
↓ (歩)
[ ラディソン・レキシントン(Radison Lexington) ]
↓ (歩)
パスタプレスト(Pasta Presto)
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ホテル
■ グランドセントラル

すでに来ている人がいないか時計の周りを見回していると、同室の人が声をかけられた。ツアー参加者の方に間違いないだろう。同室の方は以前からのお知り合いのようだ。ぼくは初めてお逢いする方々なので、「初めまして」と挨拶をする。
4時少し前。2004年のツアーでご一緒した方やなんかも集まってきた。
そして4時を少しまわった頃。
「怪しい東洋人たちですねー」
ぼくの後ろから、いきなり声がした。振り返ると、家庭用ビデオカメラを構えた正之先生だ。ちょっとびっくりした。
一通りみなさんを撮影した後、挨拶をして、
「Welcome to New York!」
の言葉をいただいた。さぁようやっと、ツアーのスタートだ。
ここで改めて、ツアー参加者の方々を紹介していただいた。初めてお逢いする方は3名。初めて、とは言っても、何度もライヴ会場で同じ時を過ごしているはずではあるのだが。
■ ユニオンスクエア
正之先生が、6時にレストランを予約してくれているそうなので、それまでの間、NYの街を歩くことに。
まずは4番でユニオンスクエアに出た。
「パラゴンはどっちだっけ?」
という正之先生の問いに、何人かの方がいっせいに同じ方向を指差して、ちょっと笑ってしまった。パラゴンとは、正確にはパラゴンスポーツ(Paragon Sports)という名前の、大きなスポーツ用品店。綴りを調べていたら、サイトも見付かった( http://www.paragonsports.com/Paragon/Shop )。
ぼくも(ちょっと遅れて)指差したうちの一人だが、どうしてみなさん、パラゴンの場所を知ってるんだろう? 歌に出てくるわけでもないのに。ちなみにぼくは、2004年のツアーで、メジャーリーグのチームのキャップが欲しい、という話をしたら、正之先生が教えてくれたから知っていたのだ。あの時パラゴンに行ったのが、ぼくが初めて一人でNYを歩いた時だった。かなり緊張して地下鉄に乗ったのを覚えている。
■ ストランドブックストア

入り口で大きな鞄は預けて、手ぶらで中を見ることができる。以前からなのか最近流行っているシステムなのか知らないが、NYではこういう形式のお店が少なくなかった。そういえば日本でも、まんだらけはそういうシステムだったなあ。日本では万引きの防止だけだろうが、NYではそれ以上のセキュリティ上の理由もあるかもしれない。
写真や絵の多い本をぱらぱらとめくってみたが、持って歩くには大きかったので、何も買わなかった。NYの写真集は、ちょっと欲しかったが、大きくて、やや高かった。…といっても、もう何ドルだったか忘れてしまったがが、10ドル以上したと思う。
グッズの展開もしているようで、お店のロゴの入ったTシャツや、トートバック、キャップなんかも置いてあった。これ、売れてるのかなあ?
■ ディーン&デルーカ
ストランドブックストアから南へ、SOHOまで歩いた。着いたのはディーン&デルーカ。ちょっと高級な食料品スーパーだ。2002年の旅行記で「日本にも出店する予定」と書いたが、実際に、丸の内の皇居に近いあたりに出店されている。品川駅でも見かけたが、そこは食材等は売っていない、ディーン&デルーカカフェだ。
ディーン&デルーカの品揃えは、見ているだけでも面白い。ジャムなんて、日本にはまずないような種類のものがたくさんある。ディーン&デルーカに限らないだろうが、肉も、とうてい日本ではあり得ない大きさだ。魚も日本で見ないものが結構見られる。ただ、魚に限って言うと、あまり美味しそうに見えないのは、やっぱり日本の魚に慣れているせいだろうか。
店内を覗いた後は、そのままブロードウェイを南に下って、リトルイタリーの手前くらいをぶらぶら。ここらへんは、2002年か2004年の時にも歩いた道だ。ツアーに参加された方の撮った写真に、プリンスストリートとマルベリーストリートの交差点が写っているものがあったので、そこら辺だ。…と、その通りの名前を見て、「あー、あそこか!」なんて思ったわけではなく、後から地図を見て答え合わせをしたのだが。可能なら、歩いた道を地図に記しておければ、後日楽しめたかもしれない。
■ パスタプレスト
スプリングstから6番に乗って、グランドセントラルを通過して、51stで降りる。少し遠回りして、ラディソンレキシントンの前を歩いた。ここは、2004年のツアーで泊まったホテルだ。目の前にデリがあるのは便利だった。

今回ぼくが頼んだのは、ラビオリ。マッシュルームと、上には小さく刻んだベーコンが振りかけられている。ニューヨークのマッシュルームは、日本のものと少し違っていて、美味しい。日本のものも好きだが、ニューヨークに来ると、積極的にマッシュルームを食べようという気になる。

■ グランドセントラル〜ホテルのバー
夕飯の後、グランドセントラルまで歩く途中で、雨がぱらついてきた。傘を持っていなかったので、人の傘に入れてもらった。
「雨か」
とつぶやいたら、ぼくより早くからNYに来ている人たちが、口をそろえて、
「今日はまだマシ。一昨日なんてもっとひどい雨だった」
と言っていた。ぼくらが来る少し前まで、連日、夕立が降っていたらしい。
この日の雨は、いわば天気雨で、通りの向こうに赤々と照りながら沈む夕日が見えた。時刻は9時前頃なのだから、やっぱり不思議だ。
グランドセントラルでは、駅の中を少しぶらぶら。メトロノースのホームに下りてみたりした後、4時に集合した場所で写真を撮った。日程の関係で、お一人の方はぼくらと重なるのは今日だけなのだ。
写真を撮った後は、再び傘をさして、ぼくらの泊まるルーズベルトホテルへ。ちなみにまだ解散していない。ホテルのバーで一杯飲もう、ということだ。
ぼくは今度はバドワイザーを。他の方もお酒を頼んだりお茶を頼んだり。そして正之先生が頼もうとしたのは、水割り。さて、ここで問題。水割りは英語で、なんと言うんでしょう?
「確か、"Whiskey and water"っていうと、別々に来ちゃうんだよ」
「じゃあ、"Whiskey with water"ですか?」
「それも別々に来ちゃいそうだなあ」
結局、別々じゃなくて、1つのコップに入れてきてねー、ということを説明しながら注文して、無事、スコッチの水割りが届けられた。届けられた後、正之先生は、ボーイに「これはなんて言ったら良いの?」というようなことを訪ねていたが、残念ながら、ぼくがその答えを覚えていない…。その場では、「へぇ、そういうんだ!」って思ったんだけどなあ…。
バーでは、何故だかプロレスの話で盛り上がった。ちっともニューヨークっぽくない!とも思ったが、いやいや、プロレスの本場といえばアメリカだったか。
…いやあ、国際プロレスの話とかしてたからなあ…。
posted by ななし at 23:55
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| NY旅行記 2006
日曜の昼のニューヨーク
▼今日の行程(集合前)
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (S)
[ タイムズスクエア(Times Sq 42 St) ]
↓ (1)
[ 14 St ]
↓ (2)
[ チェンバーストリート(Chambers St) ]
↓ (bus)
[ サウスフェリー(South Ferry) ]
↓ (Ferry)
スタテン島(Staten Island)
↓ (歩)
スタテン島911慰霊碑(The Staten Island September 11 Memorial)
↓ (Ferry・歩)
[ ホワイトホールストリート(Whitehall St) ]
↓ (R)
[ ユニオンスクエア(14 St Union Sq) ]
↓ (L)
[ 8 Av ]
↓ (歩)
チェルシーマーケット(Chelsea Market)
↓ (歩)
[ 14 St ]
↓ (A)
[ ペンステーション(34 St Penn Station) ]
↓ (歩)
マディゾンスクエアガーデン(Madison Square Garden)
↓ (歩)
メイシーズ(Macy's)
↓ (歩)
タイムズスクエア
↓ (歩)
ロックフェラーセンター近くのTシャツ屋
↓ (歩)
ブライアントパーク
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ホテル
■ グランドセントラル
8時にホテルのロビーで待ち合わせ、グランドセントラルの地下で朝食を摂った。日曜の朝8時だけあって、そんなに人が多くない。地下のフードコートもまだ開いていないお店が多くて、やっているのは2〜3店くらい。その開いているお店の1つで、ベーグルを買って朝食にした。ニューヨークといえばベーグル! 美味しかったが、ちょっと量が多かった。
今日は夕方4時の待ち合わせまではフリータイム。ご一緒した方の希望で、スタテン島に渡ることにした。スタテン島へは、マンハッタンの南端から、フェリーに乗って渡る。まずはフェリー乗り場のある、サウスフェリー駅まで行かなくてはならない。グランドセントラルからだと、シャトルでタイムズスクエアに出て…と、経路を探す。
■ 14 st
タイムズスクエアから1番(地下鉄の路線名)に乗っていると、14ストリートに停車した時、何かアナウンスが流れた。backがどうとか。そしてごそっと人が降りた。でも、そのまま座っている人もいる。
もしかしてこの電車、ここまでなんじゃあ?
NYの地下鉄は、いきなりここで終点、とか、今から快速になるね、とか、そういうことを平気でやるのだ。
でも、座ってる人もいるしなあ…。
とか何とかしゃべっていると、駅職員のいかつい黒人の男性が、何やら叫んでいる。
「お前ら、どこに行くんだ?」
「サウスフェリー」
「この電車はここでストップだ。折り返す。こっちの電車に乗れ」
「こっち?」
「そうだ」
ちなみにもちろん、英語で言っているので、大体の意味だけしか分かっていない。本当はもっと丁寧に説明してくれていたのだが、上の和訳くらいのことしか分からなかったのだ。
言われるがままに乗っていた電車を降りて、向かいのホームに来ていた電車に向かったのだが、「こっち?」なんて聞いてるうちに、ドアが閉じてしまった。
駅職員の人が「ちっ」と舌打ちしながら、電車の後方に向かって合図を送ると、一度閉じたドアが再び開いた。
「サウスフェリーだよな?」
「はい、サウスフェリー」
「チェンバーで降りろ」
「チェンバー?」
「そう、チェンバーだ!」
「O.K. Thank you!」
ぼくのお礼を待たずにドアは閉じてしまったが、恐らく声は聞こえたと思う。チェンバーストリートで降りれば良いようだ。
■ チェンバーストリート
電車がチェンバーストリートに着くと、さっき同じ電車に乗っていた人たちがぞろぞろと降りている。ぼくらもそれに続いた。
ん? ホームで何か電車を待つのかと思っていたら、改札を出て行くじゃないか。どうやら、この先地下鉄は運行していないらしい。運行していないって言っても…チェンバーからサウスフェリーまでって、まだずいぶんと距離があるよなあ。
同じ電車に乗っていた人たちが、駅職員と何かを話して、階段を上っていった。ぼくらもそれに続く。
地上への階段を上ると、ちょうど目の前にバスがいた。さっきの人たちはそこに乗っていく。運転手の女性に、
「To South Ferry?」
と聞くと、「乗れ乗れ」とばかりに手招きされた。
どうやら、地下鉄の代替輸送のようだ。よく読めなかったが、料金ボックスのところに厚紙が立ててあって、料金を払わなくて良いようになっていた。もっとも、MTAのバスだったので、例え料金が必要でも、メトロカードで乗ることができるのだが。
代替輸送のおかげといっては何だが、今まであまり歩いたことのなかった、ロウアーマンハッタンの街並みを見ることができた。ここらへんは金融街…だったと思う。いや、まさしく世界経済の中心地、ウォール街だ。車窓から、有名な牛のブロンズ像が見えた。
■ サウスフェリー
電車とバスを乗り継いで、ようやっとサウスフェリーにたどり着いた。ここからスタテン島行きのフェリーに乗る。
NYを何度か訪れたことがある人には有名らしいが、このスタテン島へ向かうフェリーは自由の女神の目の前を航行する。しかも無料。7ドル払って長い列に並んでリバティ島に渡らなくても、自由の女神が見られるよ、という、穴場スポットなのだ。そのため、スタテン島行きのフェリーに乗って、スタテン島には降りず(正確には一度降りてすぐ乗る)、マンハッタンへ戻る人もちらほらいる。
とはいえ、ぼく個人としては、一度はリバティ島に渡って、間近で自由の女神を見ることをお勧めしたい。結構びっくりするくらい大きいし、やっぱりあれこそNY!って感じがするじゃないか。2002年、2004年と訪れているので、ぼくも今回はいかなかったが、誰かが「行きたい」といえば、特に躊躇なく、もう一度リバティ島に向かうだろう。
フェリーの時刻表を見てみると、この時間は1時間あたり1本の航行。次の便までは30分くらいある。近くに30分で往復できるスポットもないので、フェリー乗り場で待っていることにした。
フェリー乗り場付近は、現在再開発中と言って良いエリアだが、この乗り場も、2004年に比べて格段に綺麗になった。警察官も配備されていて、どうやら安全なようだ。まぁ本当に安全なところは、そもそも警察官が配備されないのだが。
フェリーでは入って右側に乗る。そうすると、航行中に自由の女神を見ることができるのだ。同じ目的の人たちが、右舷に集まっていて、カメラを構えて待っている人も何人もいた。
■ スタテン島 〜 911慰霊碑
フェリーを降りるとそこはスタテン島。ショッピングモールや、フィッシングスポット、動物園やなんかがあるらしく、家族連れの姿も目に付く。フェリー乗り場が地下鉄の駅に直結していたが、ぼくらは徒歩で慰霊碑に向かった。
フェリー乗り場から慰霊碑までは歩いて5分くらい。途中、スタテンアイランド・ヤンキースのホームスタジアムの前を通る。スタテンアイランド・ヤンキースは、名前の通りヤンキース傘下の、1Aの球団だ。シングルAとなると、球場もずいぶんと小さくなる。ちょっとのぞいてみたが、人っ子一人いなかった。
スタジアムを越えると、すぐに慰霊碑が見えてきた。このモニュメントは、911のテロで犠牲になった、スタテン島の人たちのための慰霊碑として、マンハッタンを一望できるこの海辺に建てられたんだそう。手紙を模したオブジェクトに、人の横顔を切手に見立てて、その名前が刻んである。
後からモニュメントの名前を知りたくて調べたところ、この慰霊碑、曽野正之(*1)という日本人の人がデザインしたんだそうだ。日本人とは言っても、ニューヨークに在住されている方のようだが。意外なところで「正之」がつながった。
慰霊碑を見ていると、スポーツ自転車に乗った初老の白人が近づいてきた。何だろう?911の慰霊碑の近くで物珍しそうにしている東洋人に、何か不快な感情を持ったんだろうか。サングラスをしていて、その表情は分からない。
「Excuse me, what time is it now?」
ぼくの方に向かって、手の甲をひねって見せる。え、今、時間聞かれたよな?
「It's Ten ... Five」
ぼくも手の甲をひねって時計を見せながら、答えた。ちなみに10時5分だ。
「Thank you」
と言って、男性は走っていってしまった。
スタテン島はずいぶんとのどかなイメージだ。慰霊碑に行く途中も、ホントにのんびりとしていた。が、これだけ人が少ないのは、逆に気になる。警官もいない。今の治安情報が分からないので、あまりぶらぶらせずに、フェリー乗り場に戻ることにした。
スタテン島に来た時同様、30分近く待ってフェリーに乗る。
写真を撮ったりしながら話していると、近くに座っていたおばあさんが声をかけてきた。
「あなたたち、日本人ね」
あ、言葉日本語。話しかけられたのはぼくではなくて、隣に座っていた同行者の一人。
「旅行ですか? どこから来たんですか? NYは何回目ですか?」
なんて話をしているが、日本の方ではなくて、中国の方だそうだ。
「日本語聞いてたら懐かしくなって、話してみたくなったの」
とのこと。戦中の人ではなさそうだったので、おそらく、日本に住んでいたことがあったのだろう。
■ チェルシーマーケット
フェリーでマンハッタンに戻った後は、ホワイトホールから地下鉄に乗って、チェルシーマーケットへ。ここも最近になって治安が向上した場所らしく、ガイドブックを読むと「以前はお勧めしていなかったが」みたいな文が書いてあった。
行ってみると、今は順次改装中、といった感じ。段々と綺麗にしていって、観光スポットっぽくもしたいんだろうが、今はまだ、いわゆる"マーケット"で、肉や野菜やパンが売っているお店が集まっているだけだ。ここでお昼を考えていたのだが、あまりそういうムードにもならなかったので、ざっと見るだけで出てきてしまい、ペンステーションまで移動して、そこの地下でパニーニを食べた。
■ マディソンスクエアガーデン
いわゆるMSG。プロレスファンにとっては聖地といっても過言でない場所だ。ペンステーションの真上にどーんと乗っかる感じに存在する。中に入ることはできなかったが、円形に建っている建物の、壁を見上げることはできた。
ガイドブックによると、中に入って、ロッカールームなんかを見られるツアーもあったようなのだが、一緒に行動していた方々は恐らく全く興味がないだろうし、あまり時間もなさそうだったので、今回はパス。ぼくだって、バスケのロッカールームを見せられてもあまり楽しくない。普段はプロレス会場仕様になっていないだろうし、時間があってもツアーに参加したかどうかはもう一度考え直したと思う。
■ メイシーズ
続いて、MSGの斜向かいにある、老舗デパートメイシーズへ。日本の三越とか高島屋に当たるんだろうか。
ここへ来た目的は、木製のエスカレータを見ること。メイシーズには、もちろん機械部分は金属を使っているだろうが、手すりやステップの部分が木製の、古いエスカレータがある。場所によっては、ステップの部分は金属製になってしまっていて、手すり部分が木製、というところもあるが、それにしたって年代ものだ。
一緒に行動していた方は以前に来たことがあったので、案内してもらう。始めに乗ったエスカレータは普通のもので、それでしばらく昇った後、奥の方に移動。エレベータの裏側の方に回ると、おぉ!木製だ! もっと小さなものを想像していたが、きちんと現役の、実用サイズのエスカレータだった。何年くらい前のものなんだろう?
■ タイムズスクエア 〜 ホテル
一緒に行動していた人の一人はこの後用事があるということで、木製エスカレータを見た時点でお別れ。彼とはまた数時間後に会うことになる。後に残った二人で、「ぶらぶらしましょう」と、NYの街を歩いた。歩いて、人や通りや建物やお店を見ているだけでも、結構楽しめるのが不思議なところだ。
タイムズスクエアまでのんびり歩いて、その中央で写真を撮った。日曜だけあって、すごい人出だ。色んな国の人が、似たような場所で写真を撮っていた。
その後は、昨日、ロックフェラーセンターに行ったときに見かけて、ちょっと気になったTシャツ屋さん。ロックフェラーセンターと同じ一角にある。外から見える位置にかけられていた、ドナルド・ダックのTシャツが良さそうだったのだが、近付いて見てみると、ちょっとぼくには着られそうにないデザインだった。飾っておくには良かったんだけどなあ。結局何も買わずに店を後にする。
そのままブライアントパークを経てグランドセントラルまで歩いて、グランドセントラル内のお店を物色。同行していた人が、ゴディバでココアを買っていた。まだ待ち合わせまで時間があったので、ホテルにもどって一休み。きっとこの後またしばらく歩くことになるので、この休憩は正解だった。
さぁ、いよいよ、NYで正之先生とご対面だ!
ホテル
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (S)
[ タイムズスクエア(Times Sq 42 St) ]
↓ (1)
[ 14 St ]
↓ (2)
[ チェンバーストリート(Chambers St) ]
↓ (bus)
[ サウスフェリー(South Ferry) ]
↓ (Ferry)
スタテン島(Staten Island)
↓ (歩)
スタテン島911慰霊碑(The Staten Island September 11 Memorial)
↓ (Ferry・歩)
[ ホワイトホールストリート(Whitehall St) ]
↓ (R)
[ ユニオンスクエア(14 St Union Sq) ]
↓ (L)
[ 8 Av ]
↓ (歩)
チェルシーマーケット(Chelsea Market)
↓ (歩)
[ 14 St ]
↓ (A)
[ ペンステーション(34 St Penn Station) ]
↓ (歩)
マディゾンスクエアガーデン(Madison Square Garden)
↓ (歩)
メイシーズ(Macy's)
↓ (歩)
タイムズスクエア
↓ (歩)
ロックフェラーセンター近くのTシャツ屋
↓ (歩)
ブライアントパーク
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ホテル
■ グランドセントラル
8時にホテルのロビーで待ち合わせ、グランドセントラルの地下で朝食を摂った。日曜の朝8時だけあって、そんなに人が多くない。地下のフードコートもまだ開いていないお店が多くて、やっているのは2〜3店くらい。その開いているお店の1つで、ベーグルを買って朝食にした。ニューヨークといえばベーグル! 美味しかったが、ちょっと量が多かった。
今日は夕方4時の待ち合わせまではフリータイム。ご一緒した方の希望で、スタテン島に渡ることにした。スタテン島へは、マンハッタンの南端から、フェリーに乗って渡る。まずはフェリー乗り場のある、サウスフェリー駅まで行かなくてはならない。グランドセントラルからだと、シャトルでタイムズスクエアに出て…と、経路を探す。
■ 14 st

もしかしてこの電車、ここまでなんじゃあ?
NYの地下鉄は、いきなりここで終点、とか、今から快速になるね、とか、そういうことを平気でやるのだ。
でも、座ってる人もいるしなあ…。
とか何とかしゃべっていると、駅職員のいかつい黒人の男性が、何やら叫んでいる。
「お前ら、どこに行くんだ?」
「サウスフェリー」
「この電車はここでストップだ。折り返す。こっちの電車に乗れ」
「こっち?」
「そうだ」
ちなみにもちろん、英語で言っているので、大体の意味だけしか分かっていない。本当はもっと丁寧に説明してくれていたのだが、上の和訳くらいのことしか分からなかったのだ。
言われるがままに乗っていた電車を降りて、向かいのホームに来ていた電車に向かったのだが、「こっち?」なんて聞いてるうちに、ドアが閉じてしまった。
駅職員の人が「ちっ」と舌打ちしながら、電車の後方に向かって合図を送ると、一度閉じたドアが再び開いた。
「サウスフェリーだよな?」
「はい、サウスフェリー」
「チェンバーで降りろ」
「チェンバー?」
「そう、チェンバーだ!」
「O.K. Thank you!」
ぼくのお礼を待たずにドアは閉じてしまったが、恐らく声は聞こえたと思う。チェンバーストリートで降りれば良いようだ。
■ チェンバーストリート
電車がチェンバーストリートに着くと、さっき同じ電車に乗っていた人たちがぞろぞろと降りている。ぼくらもそれに続いた。
ん? ホームで何か電車を待つのかと思っていたら、改札を出て行くじゃないか。どうやら、この先地下鉄は運行していないらしい。運行していないって言っても…チェンバーからサウスフェリーまでって、まだずいぶんと距離があるよなあ。
同じ電車に乗っていた人たちが、駅職員と何かを話して、階段を上っていった。ぼくらもそれに続く。
地上への階段を上ると、ちょうど目の前にバスがいた。さっきの人たちはそこに乗っていく。運転手の女性に、
「To South Ferry?」
と聞くと、「乗れ乗れ」とばかりに手招きされた。
どうやら、地下鉄の代替輸送のようだ。よく読めなかったが、料金ボックスのところに厚紙が立ててあって、料金を払わなくて良いようになっていた。もっとも、MTAのバスだったので、例え料金が必要でも、メトロカードで乗ることができるのだが。
代替輸送のおかげといっては何だが、今まであまり歩いたことのなかった、ロウアーマンハッタンの街並みを見ることができた。ここらへんは金融街…だったと思う。いや、まさしく世界経済の中心地、ウォール街だ。車窓から、有名な牛のブロンズ像が見えた。
■ サウスフェリー

NYを何度か訪れたことがある人には有名らしいが、このスタテン島へ向かうフェリーは自由の女神の目の前を航行する。しかも無料。7ドル払って長い列に並んでリバティ島に渡らなくても、自由の女神が見られるよ、という、穴場スポットなのだ。そのため、スタテン島行きのフェリーに乗って、スタテン島には降りず(正確には一度降りてすぐ乗る)、マンハッタンへ戻る人もちらほらいる。
とはいえ、ぼく個人としては、一度はリバティ島に渡って、間近で自由の女神を見ることをお勧めしたい。結構びっくりするくらい大きいし、やっぱりあれこそNY!って感じがするじゃないか。2002年、2004年と訪れているので、ぼくも今回はいかなかったが、誰かが「行きたい」といえば、特に躊躇なく、もう一度リバティ島に向かうだろう。

フェリー乗り場付近は、現在再開発中と言って良いエリアだが、この乗り場も、2004年に比べて格段に綺麗になった。警察官も配備されていて、どうやら安全なようだ。まぁ本当に安全なところは、そもそも警察官が配備されないのだが。
フェリーでは入って右側に乗る。そうすると、航行中に自由の女神を見ることができるのだ。同じ目的の人たちが、右舷に集まっていて、カメラを構えて待っている人も何人もいた。
■ スタテン島 〜 911慰霊碑

フェリー乗り場から慰霊碑までは歩いて5分くらい。途中、スタテンアイランド・ヤンキースのホームスタジアムの前を通る。スタテンアイランド・ヤンキースは、名前の通りヤンキース傘下の、1Aの球団だ。シングルAとなると、球場もずいぶんと小さくなる。ちょっとのぞいてみたが、人っ子一人いなかった。

後からモニュメントの名前を知りたくて調べたところ、この慰霊碑、曽野正之(*1)という日本人の人がデザインしたんだそうだ。日本人とは言っても、ニューヨークに在住されている方のようだが。意外なところで「正之」がつながった。
慰霊碑を見ていると、スポーツ自転車に乗った初老の白人が近づいてきた。何だろう?911の慰霊碑の近くで物珍しそうにしている東洋人に、何か不快な感情を持ったんだろうか。サングラスをしていて、その表情は分からない。
「Excuse me, what time is it now?」
ぼくの方に向かって、手の甲をひねって見せる。え、今、時間聞かれたよな?
「It's Ten ... Five」
ぼくも手の甲をひねって時計を見せながら、答えた。ちなみに10時5分だ。
「Thank you」
と言って、男性は走っていってしまった。

スタテン島に来た時同様、30分近く待ってフェリーに乗る。
写真を撮ったりしながら話していると、近くに座っていたおばあさんが声をかけてきた。
「あなたたち、日本人ね」
あ、言葉日本語。話しかけられたのはぼくではなくて、隣に座っていた同行者の一人。
「旅行ですか? どこから来たんですか? NYは何回目ですか?」
なんて話をしているが、日本の方ではなくて、中国の方だそうだ。
「日本語聞いてたら懐かしくなって、話してみたくなったの」
とのこと。戦中の人ではなさそうだったので、おそらく、日本に住んでいたことがあったのだろう。
■ チェルシーマーケット
フェリーでマンハッタンに戻った後は、ホワイトホールから地下鉄に乗って、チェルシーマーケットへ。ここも最近になって治安が向上した場所らしく、ガイドブックを読むと「以前はお勧めしていなかったが」みたいな文が書いてあった。
行ってみると、今は順次改装中、といった感じ。段々と綺麗にしていって、観光スポットっぽくもしたいんだろうが、今はまだ、いわゆる"マーケット"で、肉や野菜やパンが売っているお店が集まっているだけだ。ここでお昼を考えていたのだが、あまりそういうムードにもならなかったので、ざっと見るだけで出てきてしまい、ペンステーションまで移動して、そこの地下でパニーニを食べた。
■ マディソンスクエアガーデン

ガイドブックによると、中に入って、ロッカールームなんかを見られるツアーもあったようなのだが、一緒に行動していた方々は恐らく全く興味がないだろうし、あまり時間もなさそうだったので、今回はパス。ぼくだって、バスケのロッカールームを見せられてもあまり楽しくない。普段はプロレス会場仕様になっていないだろうし、時間があってもツアーに参加したかどうかはもう一度考え直したと思う。
■ メイシーズ
続いて、MSGの斜向かいにある、老舗デパートメイシーズへ。日本の三越とか高島屋に当たるんだろうか。

一緒に行動していた方は以前に来たことがあったので、案内してもらう。始めに乗ったエスカレータは普通のもので、それでしばらく昇った後、奥の方に移動。エレベータの裏側の方に回ると、おぉ!木製だ! もっと小さなものを想像していたが、きちんと現役の、実用サイズのエスカレータだった。何年くらい前のものなんだろう?
■ タイムズスクエア 〜 ホテル
一緒に行動していた人の一人はこの後用事があるということで、木製エスカレータを見た時点でお別れ。彼とはまた数時間後に会うことになる。後に残った二人で、「ぶらぶらしましょう」と、NYの街を歩いた。歩いて、人や通りや建物やお店を見ているだけでも、結構楽しめるのが不思議なところだ。

その後は、昨日、ロックフェラーセンターに行ったときに見かけて、ちょっと気になったTシャツ屋さん。ロックフェラーセンターと同じ一角にある。外から見える位置にかけられていた、ドナルド・ダックのTシャツが良さそうだったのだが、近付いて見てみると、ちょっとぼくには着られそうにないデザインだった。飾っておくには良かったんだけどなあ。結局何も買わずに店を後にする。
そのままブライアントパークを経てグランドセントラルまで歩いて、グランドセントラル内のお店を物色。同行していた人が、ゴディバでココアを買っていた。まだ待ち合わせまで時間があったので、ホテルにもどって一休み。きっとこの後またしばらく歩くことになるので、この休憩は正解だった。
さぁ、いよいよ、NYで正之先生とご対面だ!
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| NY旅行記 2006
2006年07月01日(Sat)
夏の夜景のニューヨーク
▼今日の行程
ニューアークリバティ空港(Newark Liberty Airport)
↓ (空港バス)
[ グランドセントラル(Grand Central Terminal) ]
↓ (歩)
ホテル(Roosvelt Hotel)
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ブライアントパーク(Bryant Park)
↓ (歩)
ロックフェラーセンター(Rockefeller Center)
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ホテル
■ ニューアーク
Finally, I have came back to New York!
2002年の時も心の中で叫んだ台詞が、また思い出される。ぼくにとっての3度目のNYだ。といっても、ここはニューアーク空港。過去に来たことがあったのはJFK空港だけなので、初めての場所だ。
入国審査の長い列。ぼくの並んだブースの係員は、なかなか熱心に仕事をしているようで、聞くべきことをきちんと聞いている。隣のブースとは列の進み方が全然違う。隣は仕事が速いのかおざなりなのか分からないが、ばんばん進んでいた。
時刻は16時半頃。まだまだ明るい。トランクを受け取って外に出ると、旅行会社の人やら知り合いを迎えに来たであろうアメリカ人たちや、旅行者を捕まえようとしている白タクの運転手やらがひしめいていた。
ぼくが手配したパックは、航空券とホテルだけで、飛行場からホテルへの送迎はついていない。今回は、最悪の場合、タクシーを使うことを保険に、空港バスでマンハッタンにはいることにした。空港バスを使うと、14ドルでグランドセントラルまで連れて行ってくれる。途中停車駅はポートオーソリティバスターミナルとブライアントパークだ。ぼくらの泊まるルーズベルトホテルは、グランドセントラルに程近くに位置するので、このバスは非常に都合が良い。
ちなみにぼくの持っている「地球の歩き方」(しかも出たばかりの最新版!)には、このバスの料金は12ドルと書いてあった。7月から値上がりしたのだろうか。帰国したらこの情報を投書しよう。
ガイドブックでは、バス停の位置がよく分からなかったが、幸いなことに、表に出てみたらすぐに見つかった。15分間隔で出ていると書いてあったが、ちょうど良い時間だったようで、ぼくらがバス停に着いて5分もしないうちにバスがやってきた。
すぐに来るし、運転手やお客を見る限り、治安の面でも問題はなさそうだ。こんなに便利な空港バスだというのに、日本人の乗客はほとんどいない。あまり知られていないのかとも思ったが、日本からのパックは、たいていホテルまでの送迎がセットになっていることを思い出した。
高速道路を飛ばしてトンネルをくぐり、バスはマンハッタンへと入った。ポートオーソリティバスターミナルの角を曲がると、そこは、いよいよぼくにも見覚えのある通り、42nd Street。空港を出て1時間しないで、ぼくらはマンハッタンに降り立った。
■ ホテル
グランドセントラルから、今回ぼくらが泊まるルーズベルトホテルまでは、目と鼻の先。後で分かることだが、グランドセントラルの公衆無線LANの電波が、ホテルから拾えるくらいの距離だ。古いホテルらしいが、趣があって格好良い。
■ グランドセントラル
ホテルのチェックインを済ませ、まず最初に向かったのはもう一度、グランドセントラル。NYでの移動に重宝する、メトロカードを買うためだ。NYの地下鉄は、このメトロカードがあれば何度でも乗り降りできる。有効期間も、1日、7日、1ヶ月…とあって、今回の滞在では7日券がちょうど良い。今日の予定には地下鉄での移動は含まれていないが、今日から買ってしまっても、7日にはもう帰りの飛行機の中だから、問題ない。ちなみに7日で24ドル。この5日間で使いまくることを考えると、安い。
自販機を見つけて、いざカードを買おうと思ったら、何かがおかしい。まず「English」を選んで、次に「7 days」とか「1 week」とか…あれ、ないなあ。
言語を選択した次の画面に出てきたのは、「One way」とか「7/1-7/7」とか。まぁ期間としては「7/1-7/7」なので、それを選択すると、その次は、「Departure」の選択画面。え、出発駅? メトロカードを買うのに、そんなの必要ある? あえて言えば…グランドセントラルだから、「Grand Central Terminal」を選んで…って、次は「Destination」?(ここの単語、実はちゃんと覚えていない。"目的地"と解釈したので"Destination"だと思う)これは明らかにおかしい。乗り放題のチケットなんだから、どこで降りたっていいはずだ。
何度か試してみたが、何度やっても同じ画面。そして何度目かに気が付いた。この機械、地下鉄じゃなくて、メトロノース(グランドセントラルから出発する中長距離鉄道)の券売機じゃないか! 道理で目的地とかを選ばせるわけだよ。
地下鉄もメトロノースも、MTAが経営しているので、自販機のデザインが似ているのだが、確かにここはメトロノースのホーム近くだった。地下鉄のホームの方に移動してみると、2年前にも見た、あの券売機が置いてあった。
「English」を選んで、そうそう「Unlimited Metrocard」を選ぶんだ。「7-Day Unlimited Ride MetroCard」を、「Cash」で…。ここで、20ドル紙幣と5ドル紙幣を自販機に入れようとしたのだが、5ドル紙幣が戻ってきてしまった。日本の郵便局で両替したものだけあって、ピン札。あまりエラーになる要因はなさそうだが…と、もしかして…。5ドル紙幣の裏表を逆にして入れてみると、きちんと認識してくれた。NYの地下鉄の券売機は、表向きに紙幣を挿入しないといけないのか…はたまたただの偶然か。
■ ブライアントパーク
次に向かったのはブライアントパーク。ニューヨーク市立図書館の裏にあって、タイムズスクエアとグランドセントラルのちょうど真ん中くらいだ。事前にネットで調べていた限りでは、この公衆無線LANスポットが、ホテルから一番近い。
ここに向かったのは、その無線LANの接続が本当にできるのか、確認するためだ。実はホテルの部屋にも高速インターネットが可能なLAN端子があったのだが、どこにも値段が書いていなかったので、触らないでおいたのだ。ブライアントパークでの接続テストは、無事成功。この日記以外の本日付けの記事は、ブライアントパークでアップしたものだ。本来の目的であるメール受信も、問題なく行うことができた。
ブライアントパークの雰囲気がなかなか良かったので、近くのピザ屋さんでピザを買ってきて、公園のベンチで食べた。ピザと来ればビールだ。ピザを食べるときにビールを飲まないことは、ぼく国ぼく法に反する。でもたしか、NYは道や公園や駅などの公共の場所ではお酒を飲んではいけないことになっていた気がしたので、やめておいた。ぼく法よりも市条例の方が強い。例え法律や条令で禁止されていなくても、少なくとも公園で飲酒している人は、誰一人いない。勝手知らない海外では、他の人がやらないことはやめておいた方が無難だ。
■ ロックフェラーセンター
次の目的地はロックフェラーセンター。去年の11月から、このビルの屋上に上れるようになったのだ。ツインタワーがなくなって以降、マンハッタンを見下ろすスポットはエンパイアステートビルしかなかったが、ロックフェラーの公開によって、セントラルパークを見下ろし、空を見上げることなくエンパイアを臨むことができるスポットが登場したことになる。
今日は土曜日。時刻は21時少し前。この時期のNYでは、ようやっと日が落ちるか落ちないか、といった頃で、夜景を見るにはちょうど良い時間だ。そんな時間の新名所なのだから混んでいるのではないか、という不安をよそに、チケットも荷物チェックもエレベーターも、ほとんど待つことなく、展望台に上ることができた。何だか拍子抜け。あまり人気がないんだろうか。
ちなみに料金は16ドル(これも「地球の歩き方」には14ドルと書いてあった)。以前訪れたとき、確か、エンパイアの入場料が10ドルだったので、料金の関係でエンパイアの方が人気なのかもしれない。
エレベーターを降りてロックフェラーの屋上に立つと、マンハッタンの夜景が眼前に広がる。東西を川に挟まれ、その下流にはすぐに大西洋が待っているという地形上、夏のマンハッタンはどうしても空気がかすむ。そのため夏の夜景は、冬のそれにやや劣るはずだが、それでもなお、マンハッタンの夜景は十分にぼくを感動させてくれた。
エンパイアと、ぼくの大好きなクライスラービルが同時に視界に収まる。これはエンパイアからでは眺めることのできない風景だ。また、エンパイアからだと見下ろす感じになるクライスラーを、ほぼ真横から見ることができるのも良い。
独立記念日を直前に控えた今の時期、クライスラーは赤白青の星条旗カラーでライトアップされている。この国旗に対する誇りの高さは、アメリカらしい。と、エンパイアの左脇に、エンパイアよりは低い、ミニエンパイアといった様相のビルが見えた。これもエンパイアと同じように星条旗カラーでライトアップされていて、おかしい。こういう遊び心も、アメリカらしい。
冬のきりっとした空気とは異なるが、日没後の涼やかな風が吹いて、気持ちが良かった。
■ グランドセントラル〜ホテル
久しぶりのマンハッタンの夜景を堪能して、ロックフェラーを後にする。次に向かうのはグランドセントラル。正確に言うと、グランドセントラル付近の歩道だ。先ほど目線の高さでカメラに納めたクライスラーを、今度は下から見上げるのだ。グランドセントラルの彫刻と、ライトアップされたクライスラーを同時に眺めるのが、これまた格好良い。
その風景を写真に納めて、ぼくらはホテルに戻った。
ニューアークリバティ空港(Newark Liberty Airport)
↓ (空港バス)
[ グランドセントラル(Grand Central Terminal) ]
↓ (歩)
ホテル(Roosvelt Hotel)
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ブライアントパーク(Bryant Park)
↓ (歩)
ロックフェラーセンター(Rockefeller Center)
↓ (歩)
グランドセントラル
↓ (歩)
ホテル
■ ニューアーク

2002年の時も心の中で叫んだ台詞が、また思い出される。ぼくにとっての3度目のNYだ。といっても、ここはニューアーク空港。過去に来たことがあったのはJFK空港だけなので、初めての場所だ。
入国審査の長い列。ぼくの並んだブースの係員は、なかなか熱心に仕事をしているようで、聞くべきことをきちんと聞いている。隣のブースとは列の進み方が全然違う。隣は仕事が速いのかおざなりなのか分からないが、ばんばん進んでいた。
時刻は16時半頃。まだまだ明るい。トランクを受け取って外に出ると、旅行会社の人やら知り合いを迎えに来たであろうアメリカ人たちや、旅行者を捕まえようとしている白タクの運転手やらがひしめいていた。
ぼくが手配したパックは、航空券とホテルだけで、飛行場からホテルへの送迎はついていない。今回は、最悪の場合、タクシーを使うことを保険に、空港バスでマンハッタンにはいることにした。空港バスを使うと、14ドルでグランドセントラルまで連れて行ってくれる。途中停車駅はポートオーソリティバスターミナルとブライアントパークだ。ぼくらの泊まるルーズベルトホテルは、グランドセントラルに程近くに位置するので、このバスは非常に都合が良い。
ちなみにぼくの持っている「地球の歩き方」(しかも出たばかりの最新版!)には、このバスの料金は12ドルと書いてあった。7月から値上がりしたのだろうか。帰国したらこの情報を投書しよう。
ガイドブックでは、バス停の位置がよく分からなかったが、幸いなことに、表に出てみたらすぐに見つかった。15分間隔で出ていると書いてあったが、ちょうど良い時間だったようで、ぼくらがバス停に着いて5分もしないうちにバスがやってきた。
すぐに来るし、運転手やお客を見る限り、治安の面でも問題はなさそうだ。こんなに便利な空港バスだというのに、日本人の乗客はほとんどいない。あまり知られていないのかとも思ったが、日本からのパックは、たいていホテルまでの送迎がセットになっていることを思い出した。

■ ホテル

■ グランドセントラル
ホテルのチェックインを済ませ、まず最初に向かったのはもう一度、グランドセントラル。NYでの移動に重宝する、メトロカードを買うためだ。NYの地下鉄は、このメトロカードがあれば何度でも乗り降りできる。有効期間も、1日、7日、1ヶ月…とあって、今回の滞在では7日券がちょうど良い。今日の予定には地下鉄での移動は含まれていないが、今日から買ってしまっても、7日にはもう帰りの飛行機の中だから、問題ない。ちなみに7日で24ドル。この5日間で使いまくることを考えると、安い。
自販機を見つけて、いざカードを買おうと思ったら、何かがおかしい。まず「English」を選んで、次に「7 days」とか「1 week」とか…あれ、ないなあ。
言語を選択した次の画面に出てきたのは、「One way」とか「7/1-7/7」とか。まぁ期間としては「7/1-7/7」なので、それを選択すると、その次は、「Departure」の選択画面。え、出発駅? メトロカードを買うのに、そんなの必要ある? あえて言えば…グランドセントラルだから、「Grand Central Terminal」を選んで…って、次は「Destination」?(ここの単語、実はちゃんと覚えていない。"目的地"と解釈したので"Destination"だと思う)これは明らかにおかしい。乗り放題のチケットなんだから、どこで降りたっていいはずだ。
何度か試してみたが、何度やっても同じ画面。そして何度目かに気が付いた。この機械、地下鉄じゃなくて、メトロノース(グランドセントラルから出発する中長距離鉄道)の券売機じゃないか! 道理で目的地とかを選ばせるわけだよ。
地下鉄もメトロノースも、MTAが経営しているので、自販機のデザインが似ているのだが、確かにここはメトロノースのホーム近くだった。地下鉄のホームの方に移動してみると、2年前にも見た、あの券売機が置いてあった。
「English」を選んで、そうそう「Unlimited Metrocard」を選ぶんだ。「7-Day Unlimited Ride MetroCard」を、「Cash」で…。ここで、20ドル紙幣と5ドル紙幣を自販機に入れようとしたのだが、5ドル紙幣が戻ってきてしまった。日本の郵便局で両替したものだけあって、ピン札。あまりエラーになる要因はなさそうだが…と、もしかして…。5ドル紙幣の裏表を逆にして入れてみると、きちんと認識してくれた。NYの地下鉄の券売機は、表向きに紙幣を挿入しないといけないのか…はたまたただの偶然か。
■ ブライアントパーク

ここに向かったのは、その無線LANの接続が本当にできるのか、確認するためだ。実はホテルの部屋にも高速インターネットが可能なLAN端子があったのだが、どこにも値段が書いていなかったので、触らないでおいたのだ。ブライアントパークでの接続テストは、無事成功。この日記以外の本日付けの記事は、ブライアントパークでアップしたものだ。本来の目的であるメール受信も、問題なく行うことができた。

■ ロックフェラーセンター
次の目的地はロックフェラーセンター。去年の11月から、このビルの屋上に上れるようになったのだ。ツインタワーがなくなって以降、マンハッタンを見下ろすスポットはエンパイアステートビルしかなかったが、ロックフェラーの公開によって、セントラルパークを見下ろし、空を見上げることなくエンパイアを臨むことができるスポットが登場したことになる。
今日は土曜日。時刻は21時少し前。この時期のNYでは、ようやっと日が落ちるか落ちないか、といった頃で、夜景を見るにはちょうど良い時間だ。そんな時間の新名所なのだから混んでいるのではないか、という不安をよそに、チケットも荷物チェックもエレベーターも、ほとんど待つことなく、展望台に上ることができた。何だか拍子抜け。あまり人気がないんだろうか。
ちなみに料金は16ドル(これも「地球の歩き方」には14ドルと書いてあった)。以前訪れたとき、確か、エンパイアの入場料が10ドルだったので、料金の関係でエンパイアの方が人気なのかもしれない。
エレベーターを降りてロックフェラーの屋上に立つと、マンハッタンの夜景が眼前に広がる。東西を川に挟まれ、その下流にはすぐに大西洋が待っているという地形上、夏のマンハッタンはどうしても空気がかすむ。そのため夏の夜景は、冬のそれにやや劣るはずだが、それでもなお、マンハッタンの夜景は十分にぼくを感動させてくれた。
エンパイアと、ぼくの大好きなクライスラービルが同時に視界に収まる。これはエンパイアからでは眺めることのできない風景だ。また、エンパイアからだと見下ろす感じになるクライスラーを、ほぼ真横から見ることができるのも良い。

冬のきりっとした空気とは異なるが、日没後の涼やかな風が吹いて、気持ちが良かった。
■ グランドセントラル〜ホテル

その風景を写真に納めて、ぼくらはホテルに戻った。
posted by ななし at 23:55
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| NY旅行記 2006
飛行機の中
チェックインの時、出発時間が10分早くなったと言われ、搭乗時間もそれに合わせた時刻を指定されたが、実際に飛行機が動き出したのは、定刻の16時10分をさらに過ぎた、16時20分頃だった。
離陸の頃、どういうわけか非常に眠たくて、ついうとうとしてしまった。気付いたら遙か下に陸地が見えた。中途半端に寝てしまうと、あとで眠れなくなってしまう。そこで何とか起きて、飲み物のサービスを待った。
本当ならばビールでも、と思ったのだが、どうやらコンチネンタルでは、アルコール飲料は有料らしい。日本の国内線なんかは有料だが、同じANAでも国際線なら飲み物は無料だし、ひと月前に使ったタヒチヌイ航空も無料だった。国際線はそういう物なのかと思っていたが、どうやらコンチネンタルはその限りではないようだ。
ちなみに料金は500円 or 5ドル。今のレートを考えると、日本円で払った方が2割近く安い。お釣りが出ないことを優先した値段設定なのだろう。
どちらにしても、お財布は上にしまった鞄に入れたままなので、取り出すのも面倒くさい。ここはオレンジジュースを頼んでおこう。
飲み物のサービスの後は、機内食。「beef or chicken」ではなく、「steak or fish」だったので、ステーキをお願いした。
味は…まぁ機内食だし、こんなものか。ステーキと言うよりは、コンビーフを食べているようだった。
それにしても、機内が肌寒い。長袖を羽織っていれば問題なさそうだが、半袖ではちょっと厳しい。あれだけ色々服を持ってきておいて、トランクに詰めたままにしてしまったら意味がない。うっかりしたなあ。
とりあえず、常に毛布をかぶって、やりすごすことにする。
時差に慣れるため、機内食が出る前あたりで、時計をNYの時間に合わせておいた。その時計によると、時刻は7月1日の早朝なのだが、機内が意外と明るくて、眠りにつけない。
パソコンを取り出して旅行記を書いたりしながら、眠気の周期を待った。
それでも何とか眠りについて、周りでごそごそ言う音に目覚めたときには、乗務員の人たちが軽食を配っている頃だった。
軽食の中身はパニーニのようなもの。「軽食」と言う割には、それなりにボリュームがある。時間から考えると、まぁ朝食という扱いなのだろう。それなりに食べられる。すばらしく美味しいとは言えないが、まずくて食べられない、ということもない。
朝食の後も少しうつらうつらして、今度はお昼頃、最後の機内食が出された。
「オムレツか? パスタか?」と聞かれた割に、どうやらパスタはすべて配ってしまったらしく、オムレツが配られた。こちらも味は可もなく不可もなく。
この昼食を食べた時点で、到着まで2時間あまり。せかされるように出入国カードと税関申告書を記入し終えると、飛行機は最終着陸態勢に入るのだった。
離陸の頃、どういうわけか非常に眠たくて、ついうとうとしてしまった。気付いたら遙か下に陸地が見えた。中途半端に寝てしまうと、あとで眠れなくなってしまう。そこで何とか起きて、飲み物のサービスを待った。
本当ならばビールでも、と思ったのだが、どうやらコンチネンタルでは、アルコール飲料は有料らしい。日本の国内線なんかは有料だが、同じANAでも国際線なら飲み物は無料だし、ひと月前に使ったタヒチヌイ航空も無料だった。国際線はそういう物なのかと思っていたが、どうやらコンチネンタルはその限りではないようだ。
ちなみに料金は500円 or 5ドル。今のレートを考えると、日本円で払った方が2割近く安い。お釣りが出ないことを優先した値段設定なのだろう。
どちらにしても、お財布は上にしまった鞄に入れたままなので、取り出すのも面倒くさい。ここはオレンジジュースを頼んでおこう。
飲み物のサービスの後は、機内食。「beef or chicken」ではなく、「steak or fish」だったので、ステーキをお願いした。
味は…まぁ機内食だし、こんなものか。ステーキと言うよりは、コンビーフを食べているようだった。
それにしても、機内が肌寒い。長袖を羽織っていれば問題なさそうだが、半袖ではちょっと厳しい。あれだけ色々服を持ってきておいて、トランクに詰めたままにしてしまったら意味がない。うっかりしたなあ。
とりあえず、常に毛布をかぶって、やりすごすことにする。
時差に慣れるため、機内食が出る前あたりで、時計をNYの時間に合わせておいた。その時計によると、時刻は7月1日の早朝なのだが、機内が意外と明るくて、眠りにつけない。
パソコンを取り出して旅行記を書いたりしながら、眠気の周期を待った。
それでも何とか眠りについて、周りでごそごそ言う音に目覚めたときには、乗務員の人たちが軽食を配っている頃だった。
軽食の中身はパニーニのようなもの。「軽食」と言う割には、それなりにボリュームがある。時間から考えると、まぁ朝食という扱いなのだろう。それなりに食べられる。すばらしく美味しいとは言えないが、まずくて食べられない、ということもない。
朝食の後も少しうつらうつらして、今度はお昼頃、最後の機内食が出された。
「オムレツか? パスタか?」と聞かれた割に、どうやらパスタはすべて配ってしまったらしく、オムレツが配られた。こちらも味は可もなく不可もなく。
この昼食を食べた時点で、到着まで2時間あまり。せかされるように出入国カードと税関申告書を記入し終えると、飛行機は最終着陸態勢に入るのだった。
posted by ななし at 16:10
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| NY旅行記 2006
出航の直前
気持ち悪い…。
バスの中でパソコンを見ていたせいか、それとも昨日のアルコールが残っているせいか分からないが、ややバス酔いしてしまった。いや、原因が後者だとしたら二日酔いか。
これ以上気持ち悪くなってきたら、ちょっとまずいな、と思い始めた頃、バスは成田空港に到着した。
今回使う航空会社はコンチネンタル。来年からは第一ターミナルに移動するそうだが、今はまだ第二ターミナルだ。最近できた第一ターミナルが使えなくて残念だが、仕方がない。
今回ご一緒する方々との待ち合わせにはまだ20分以上あるが、今は座って休みたい。待ち合わせ場所のベンチに行ってしまうことにする。
来る途中に買った歯ブラシセットを、トランクに移そうか…と、トランクを開けていると、待ち合わせの方がいらした。彼のバスも早く着いてしまったそうで、どうやらぼくよりも前から成田に着いていたようだ。
その方と挨拶をしているうちに、もう一人の方も合流した。
コンチネンタルのチェックインは混み合っているようで、ゲートの手前でしばらく待たされた。アメリカの航空会社だけあって外国人の利用者も多いが、それでもせいぜい4割程度。半分以上は日本人だ。
同行者の一人が、
「随分日本人が多いですね」
というので、
「ここ、まだ成田ですからね」
ととぼけた切り返しをしてしまった。
チェックインの時に、トランクの鍵がかかっているかどうかを尋ねられた。
アメリカへの渡航の際は、トランクを開けてチェックすることがあるので、鍵はかけないでくれ、と言われるのは知っていたので、「かけていない」と答える。
まぁぼくの使っているトランクは、アメリカへの渡航の際もロックして良い(空港係員が解錠できる道具を持っているんだそうだ。チェック後はまたロックしてくれるとのこと)、キーが付いているタイプの物なので、ロックしてあっても構わないのだが、何かあっても嫌なので、鍵はかけないでおいたのだ。
「行きの便はかけていただいても構わないんですが、帰りの便は、必ず開けておいてください」
え、行きはかけなくて良いの? 航空会社が違うと、何かとルールが違うんだなあ。
チェックインが無事完了したが、海外旅行用の保険に加入していないことを思い出した。
フロアの中央付近にある保険屋さんのカウンターに向かっている途中、そういえば、まさみさんが保険業務をやっていたことを思い出し、電話をかけてみた。まさみさんのところで入れれば、何かとスムーズに進むだろう。
「土曜日は、機械が止まっちゃってるから、ダメなんですよ」
あぁ、そういえば今日は土曜日か。それによく考えたら、保険証書も受け取れないじゃないか。
素直にあきらめて、空港のカウンターで申し込むことにした。7日間で7500円程度のプラン。
3〜4000円程度だと思っていたので、ちょっと驚いてしまったが、こんなもんだっけか…?
出国手続きを済ませた後、以前から上司の人に聞いて興味があった、Yahoo!BBカフェに行ってみた。
公共の場所の無線LANスポットを使ってみたことがないので、試してみたかったのだ。NYでの予行演習にもなるかもしれない。ついでに、バスの中で打った日記もアップできる。
そう思っていたのだが、どうやらそこは、無線LANスポットではなく、カフェの用意したパソコンを自由に使える、という場所だったようだ。
それならば用はない。
98番の乗り場だったので、シャトルに乗ってサテライトへ移動。
…と何でもないことのように書いたが、成田でシャトルに乗るのは初めてだった。それどころか、そんな物があったことも知らなかった。
まぁ別にたいした乗り物でもないのだが、大江戸線のようにホーム側にも扉が付いていることと、無人で動く一両の車両が、どことなく近未来的な風景に感じられた。
乗り場で、もう一人の同じ飛行機でNYへ向かう方と合流。別々に申し込んだので、席もホテルも別だが、座席の位置は3つくらいしか離れていなかった。
何でも、チェックインの時、ぼくらを見つけていたんだそうだ。
声をかけてくれたら良かったのに…って、声をかけたら列からはずれないといけなくなっちゃうか。
バスの中でパソコンを見ていたせいか、それとも昨日のアルコールが残っているせいか分からないが、ややバス酔いしてしまった。いや、原因が後者だとしたら二日酔いか。
これ以上気持ち悪くなってきたら、ちょっとまずいな、と思い始めた頃、バスは成田空港に到着した。
今回使う航空会社はコンチネンタル。来年からは第一ターミナルに移動するそうだが、今はまだ第二ターミナルだ。最近できた第一ターミナルが使えなくて残念だが、仕方がない。
今回ご一緒する方々との待ち合わせにはまだ20分以上あるが、今は座って休みたい。待ち合わせ場所のベンチに行ってしまうことにする。
来る途中に買った歯ブラシセットを、トランクに移そうか…と、トランクを開けていると、待ち合わせの方がいらした。彼のバスも早く着いてしまったそうで、どうやらぼくよりも前から成田に着いていたようだ。
その方と挨拶をしているうちに、もう一人の方も合流した。
コンチネンタルのチェックインは混み合っているようで、ゲートの手前でしばらく待たされた。アメリカの航空会社だけあって外国人の利用者も多いが、それでもせいぜい4割程度。半分以上は日本人だ。
同行者の一人が、
「随分日本人が多いですね」
というので、
「ここ、まだ成田ですからね」
ととぼけた切り返しをしてしまった。
チェックインの時に、トランクの鍵がかかっているかどうかを尋ねられた。
アメリカへの渡航の際は、トランクを開けてチェックすることがあるので、鍵はかけないでくれ、と言われるのは知っていたので、「かけていない」と答える。
まぁぼくの使っているトランクは、アメリカへの渡航の際もロックして良い(空港係員が解錠できる道具を持っているんだそうだ。チェック後はまたロックしてくれるとのこと)、キーが付いているタイプの物なので、ロックしてあっても構わないのだが、何かあっても嫌なので、鍵はかけないでおいたのだ。
「行きの便はかけていただいても構わないんですが、帰りの便は、必ず開けておいてください」
え、行きはかけなくて良いの? 航空会社が違うと、何かとルールが違うんだなあ。
チェックインが無事完了したが、海外旅行用の保険に加入していないことを思い出した。
フロアの中央付近にある保険屋さんのカウンターに向かっている途中、そういえば、まさみさんが保険業務をやっていたことを思い出し、電話をかけてみた。まさみさんのところで入れれば、何かとスムーズに進むだろう。
「土曜日は、機械が止まっちゃってるから、ダメなんですよ」
あぁ、そういえば今日は土曜日か。それによく考えたら、保険証書も受け取れないじゃないか。
素直にあきらめて、空港のカウンターで申し込むことにした。7日間で7500円程度のプラン。
3〜4000円程度だと思っていたので、ちょっと驚いてしまったが、こんなもんだっけか…?
出国手続きを済ませた後、以前から上司の人に聞いて興味があった、Yahoo!BBカフェに行ってみた。
公共の場所の無線LANスポットを使ってみたことがないので、試してみたかったのだ。NYでの予行演習にもなるかもしれない。ついでに、バスの中で打った日記もアップできる。
そう思っていたのだが、どうやらそこは、無線LANスポットではなく、カフェの用意したパソコンを自由に使える、という場所だったようだ。
それならば用はない。
98番の乗り場だったので、シャトルに乗ってサテライトへ移動。
…と何でもないことのように書いたが、成田でシャトルに乗るのは初めてだった。それどころか、そんな物があったことも知らなかった。
まぁ別にたいした乗り物でもないのだが、大江戸線のようにホーム側にも扉が付いていることと、無人で動く一両の車両が、どことなく近未来的な風景に感じられた。
乗り場で、もう一人の同じ飛行機でNYへ向かう方と合流。別々に申し込んだので、席もホテルも別だが、座席の位置は3つくらいしか離れていなかった。
何でも、チェックインの時、ぼくらを見つけていたんだそうだ。
声をかけてくれたら良かったのに…って、声をかけたら列からはずれないといけなくなっちゃうか。
posted by ななし at 14:50
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| NY旅行記 2006
大量の荷物
うーん、荷物が多い。
家を出る1時間ほど前、ようやく、何とか持って行く物をトランクに詰め込んだ。
それにしても荷物が多い。たかだか一週間、しかも何のレジャーもしないというのに、トランクの空きはもうわずかだ。おみやげのはいる隙はあまりない。
その荷物の大半を占めるのが、洋服。ぼくはどうにも、洋服の選別が苦手だ。ひと月くらい前にタヒチに行ったのだが、そのときも、結局着なかった服を何枚も持って行っていた。
でも、「肌寒かったら…」とか「少しフォーマルな格好をしなくちゃいけなかったら…」とか考えると、どんどん荷物が増えてしまう。
さんざん悩んだあげく、「Tシャツくらいなら向こうでも気軽に買える」と、一度トランクに詰めた袋から、Tシャツを3枚取り出した。それでもまだずいぶんと荷物はあるのだが。
これだけの荷物がある割に、まだ何か忘れものをしているような気がしてならない。。
パスポートは持った。
航空券は持った。
携帯もデジカメも持った。
ノートパソコンはまさに今使っている。
クレジットカード、ドル紙幣…まぁこれだけあれば、足りない物があっても購入できるか。
不安はあるのに、今からNYへ行くという実感はあまりない。
何だか不可思議な心持ちのまま、ぼくはいよいよ、3度目のNYへ旅立つのである。
家を出る1時間ほど前、ようやく、何とか持って行く物をトランクに詰め込んだ。
それにしても荷物が多い。たかだか一週間、しかも何のレジャーもしないというのに、トランクの空きはもうわずかだ。おみやげのはいる隙はあまりない。
その荷物の大半を占めるのが、洋服。ぼくはどうにも、洋服の選別が苦手だ。ひと月くらい前にタヒチに行ったのだが、そのときも、結局着なかった服を何枚も持って行っていた。
でも、「肌寒かったら…」とか「少しフォーマルな格好をしなくちゃいけなかったら…」とか考えると、どんどん荷物が増えてしまう。
さんざん悩んだあげく、「Tシャツくらいなら向こうでも気軽に買える」と、一度トランクに詰めた袋から、Tシャツを3枚取り出した。それでもまだずいぶんと荷物はあるのだが。
これだけの荷物がある割に、まだ何か忘れものをしているような気がしてならない。。
パスポートは持った。
航空券は持った。
携帯もデジカメも持った。
ノートパソコンはまさに今使っている。
クレジットカード、ドル紙幣…まぁこれだけあれば、足りない物があっても購入できるか。
不安はあるのに、今からNYへ行くという実感はあまりない。
何だか不可思議な心持ちのまま、ぼくはいよいよ、3度目のNYへ旅立つのである。
posted by ななし at 14:30
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| NY旅行記 2006
2006年06月30日(Fri)
準備の途中
出発前日の深夜現在、まだ準備が終わっていない。
今日は取引先の人と飲みに行くことになっているので、夜に荷造りの時間は取れないというのに。
確か2002年にNYに行ったときも、前日にさんざん飲んで、徹夜で準備をした。ぼくという人間は、4年間、あまり成長していないようだ。
いや、前回は自発的、今回はお客との飲みだから、少しは進歩したのか? あまり関係ないか。
大雑把に、持って行くものをまとめたのだが、まだアイロンをかけていないシャツとかもあるし、トランクに詰めていないものもある。
夕方の飛行機なので、出発の日の午前中が使える、とは思っているのだが、それではぎりぎりすぎる。
…というあたりまで下書きまでしてあったのだが、実際にお客と飲みに行ったら、ずいぶんと飲まされてしまった。
帰ってきて、ほぼすぐにベッドに入り、翌朝、つまり出発する日の6時頃起きて、準備の続きをして、今、家を出る30分前くらいだ。
やや記憶があやふやだが、確か2004年にNYに行った時も、前の日は飲みに行っていた気がする。どうやらNYへ行く前日というのは、お酒を飲みに行くものらしい。
…ぼくだけ?
今日は取引先の人と飲みに行くことになっているので、夜に荷造りの時間は取れないというのに。
確か2002年にNYに行ったときも、前日にさんざん飲んで、徹夜で準備をした。ぼくという人間は、4年間、あまり成長していないようだ。
いや、前回は自発的、今回はお客との飲みだから、少しは進歩したのか? あまり関係ないか。
大雑把に、持って行くものをまとめたのだが、まだアイロンをかけていないシャツとかもあるし、トランクに詰めていないものもある。
夕方の飛行機なので、出発の日の午前中が使える、とは思っているのだが、それではぎりぎりすぎる。
…というあたりまで下書きまでしてあったのだが、実際にお客と飲みに行ったら、ずいぶんと飲まされてしまった。
帰ってきて、ほぼすぐにベッドに入り、翌朝、つまり出発する日の6時頃起きて、準備の続きをして、今、家を出る30分前くらいだ。
やや記憶があやふやだが、確か2004年にNYに行った時も、前の日は飲みに行っていた気がする。どうやらNYへ行く前日というのは、お酒を飲みに行くものらしい。
…ぼくだけ?
posted by ななし at 23:55
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| NY旅行記 2006